犬が

犬が老人ホームに行くと寝たきりだった老人達が触れ合いたいから起き出し活動的になるという。

何故?犬が良いのかと言えば、コミュニケーションに言語を必要とせず『直感同士』で心を行き来することが出来るから、らしい。

 

日常、僕達は言葉に頼り言葉で傷付き、言葉で喜びそして言葉によって怒ったりもする。

長い年月をかけて『関係が深い』と思う相手と予想外の行き違いが生じていた?なんて事はよくある。

 

一方、年の離れた初対面の異性と対面して、一瞬で相手のキャラクターや様々の苦しみを具体的じゃなく漠然と、しかしやけにハッキリとした確信で以て感じ取れる事もある。

コレが直感という交流なんだと思う。


感じ取るというより自然に『入ってくる感覚』なのである。

言葉は要らない?というよりむしろ、言葉が素直な交流を邪魔するのである。

 

日頃の会話や国会の質疑応答、裁判所での被告と原告との言葉の応酬などは些末な言葉尻まで抜け目なく『計算ずく』で進めなければならない。

『本当の自分の感覚』は用意周到に隠されている面が否めない。

 

「言った」「言わない」が日常のイサカイの大部分を占めるのは…言葉に頼りすがっているスタンスが導くのだと思う。

 

言葉に翻弄され、約束を唐突な叛意で背中から切り付けられたりを繰り返し、散々な体験で疲弊し切った僕は…人の言葉も自分の言葉も風の音位のレベルに聞き流しやり過ごし…頼らなくなった。

 

『食える奴か?食えない奴か?』だけを嗅覚で嗅ぎ取って選別し、ソコから言葉で事の具体化を進めるといった具合に変わったのである。

 

心が直接被った痛みから得た『直感的な判断』は人の選別を外さなくなった。

自分を健康的なメンタルに導き活動的にしてくれる人を『ラッキーパースン』と名付けて心にハッキリと銘記する。
すると、停滞を破る切っ掛けとなるのが必ず何人かのラッキーパースンなのだった。

 

言葉で結び付いていたかつての人達の登場場面はやたら多い。

しかし、肝心のここ!って時に決まって負のメンタルに導いたり、困っている現実の事柄を破壊し損傷させ余計に深刻にさせる働きをするのがこの『言葉族』だということに気付いたのだった。
負け惜しみの「へぇ~そんな奴だったのか」を心の中で、懲りもせず何人に何度呟いた事だろう。

善意で紹介し結びつけた人間達が、息の合った僕の非難中傷の先陣を切ってたなんて事もあった。

「言ってくれなきゃ分からない!」なんておバカな事をイケシャアというおバカな女。

「そんな事は言わなかった」と厚顔無恥な顔でとぼけて居直る下劣でアホな男。

…こんなのが『不運への水先案内人』なのだと強くモチベーションしたら、僕の周りから人災は激減したのだった。

 

言葉は百人いたら百通りの色即是空を醸し出す。

後から都合によって如何様にも書き換え可能だから仕方ないのである。
善人達の無邪気な悪意は『嘘という消しゴム』で「そんな事はいってない!」と言葉を変幻自在に書き換える。

 

言葉は『どんな人間が吐いたモノか?』を吟味しなきゃ…悪魔の呪文に早変わりって事にもなるのである。

裏切られた!と後から恨んだ事も多々あるけれど…単に相手の本性が露になっただけなのである。

自分が勝手に相手構わずその言葉にすがり頼っただけの話だったのだ。

直感は裏切らない。

だから一瞬で犬との間にさえ絶大な信頼関係を結べるのである。

 

ついつい言葉に頼る悪癖から抜け出せない…そんな人は『ふと感じる違和感』に注意すればよい。

その関係の行く末の不幸から自分を救う事が出来ることを知っておくと良いと思う。

違和感は直感の初心者に送られるシグナル。

自分の心の底からの予告なのだ。

疑心暗鬼と違い、言葉で捏ね上げたモノじゃない純粋にDNAに備わっている危機探知能力なのだ。

前編二編に書いた『エンパシー』もこの純粋な直感能力から発揮される『感じ取る能力』なのだと思う。

困窮してる人達は言葉に裏切られ、傷付いていて…しかしそれでも切実に助けを望んでいる。
ソコに気付けるか?否か?

それは高尚なご立派正義の言葉理論じゃなく、素直な純粋な自分の直感の力にかかっているんだと思う。