ある

ある週刊誌のエッセイに興味深い話があった。

 

人の窮地や惨事に対して、同情心や共感する気持ちをシンパシーという。

これに対して、『同情できる能力』『共感することが出来る能力』をエンパシーだという。

 

この能力を『養う』事が大切なんじゃないか?という主旨の話だった。

最貧国のレベルの人達に対するカネの援助はその時限りの事で全く役には立たない。
有効な援助は…『生きて行く為の術(すべ)を指導し与える』ことだという。

磨かれた『同情し共感する能力』は迷わず後者を選択するのだと思う。
その瞬間の共感、同情は無いよりましだが、その効果の時間の継続性がない。

能力としてモチベーションされ、導かれた共感とか同情は『効果の継続性』を考慮に入れるんだと思う。
『能力としての共感力』はシンパシーの様に一過性にして済ませない力があるということか?

 

成長が見込めなくなった経済は共生、共感によって分配をより貧者に向けなければならなくなる。

これには富裕層のエンパシーに期待するっきゃない。
また貧しい側は富裕層のカネへの執着、固執は何故なのか?と想像する力がないと彼等と議論が出来ない。

これもまたエンパシーを必要とする。

富裕層に対しても同情、共感は絶対必要なのである。

何故なら彼等は裕福だが『幸せではない』からだ。

生まれ出でた意味という点において彼等は全く無知のまま捨て置かれている。

日々を我欲にせっつかれて生きている様はとても幸せとは程遠い姿である…。

DNAに埋め込まれているエンパシーという能力。

その掘り起こしこそ共生社会への進化の鍵を握っているのだと思う。


因みにエンパシーという概念を教えているのは、イギリスの底辺小学校での話だという点も多くの示唆に富んでいると感じた。