ある違和感

若いアルバイト君達との会話に、ある違和感が付いてくる。

 

何か話したが、話す先から話した事が消えていく?そんな違和感を覚える様になった。

暫く観察していて、その人達は『既にガチガチに完成されている』んだな?と分かった。

 

彼達、彼女達はそこまでの人生で『自分が知っている事』で頭の中はパンパン。

防衛本能の防壁を張り巡らした様に…知らない事とか新たに思考を要する事は頑なに拒絶するのだ。

 

既知はとても安心出来るからである。

未知は人を動揺させ不安にし、そしてワクワクもさせる。

しかし彼らは、ワクワクよりも何よりも『安心第一』を条件反射でチョイスしている。

 

そんな彼達、彼女達も人との交流の真似事はやる。

しかし新たに『知人の枠』に招き入れるのは、自分の思考、領域を絶対に侵す力がない人間をチョイスする。

一重に…恐いから。

 

その姿勢は好きな音楽にも表れていて、思春期に聞いたバンドとかシンガー以外は即座に否定する。

 

このオッサンがラドウィンプスを語っても、そうなんですねぇ?…とスルーする。

アンテナを開いていれば良いものは良い!と自然と自分に『入ってくる』んだけどなぁ…。

 

『未知を極端に恐怖する』彼女達。

やる前に計算が立たなきゃ受け入れない。

 

独りを演りながらそんな何個かのグループと横断的に交流するなんて人間は同年代では存在し得なかっただろうなぁ?と思う。

 

分断されたんじゃなく、自ら分断し『安心出来る数人』の中に籠りながら自分を『防衛して』生きて来てるのがよく分かる。

 

それはあたかも…若い時分に夢に足掻いてこっぴどくやられて懲りたジイサン、バアサンの様である。

目先の事に小計算を駆使して安全を図る。

老婆達がお寺に出掛けるのも自分を侵さない人を用意周到にセレクトするといったように。

 

必然的に彼等、彼女等は、既に老後を心配して生きる様になっている。

恐怖の軽減、消滅こそが唯一の目的として生きているのだから。

それこそが『老婆心』と称される老人のメンタリティそのものではないか?

 

教育システム、マニュアルに組み込まれて割り振られた自分のルートを頭っから信じて、それ以外は『触るな危険!』と生きている。

そこから零れ落ちた人間は…対抗しうる職種を語って自分を慰める。

ユーチューバー、声優、ゲーム、アニメ製作者、ミュージシャン等々だ。

 

当然だけど、そんな中に本物が居る事も言っておく。

何時の時代も本物は存在してるから。
 

「今頃の若い者は…」という嘆きではなく、そうした人造りを手抜きしてきた僕達の取り返し様のない失敗を思うのである。

 

「演って見なきゃ解らない!」と時折若い人を焚き付けて見るけれど。

先ずそんな危ない事は恐いからやる筈がない。

 

ダメだと『演らなくても分かる質』の老人の様な思考方法で生きる若い人達に、「実際怖いのはあなた達の様に考え生きる事なんだよ」と伝える事は至難の技。

限りなく不可能に近い。

 

仮面ライダーになりたい!演りたい!という奴が新しくやって来た。

憧れは藤岡弘さんです!…と言う。

月二回研修所に通うそうだ。

 

演って見る価値はある!

そう感じた。
三年後に君がテレビに出るとき…『あの人がいたから!』ってなコーナーに僕を呼んでね!ってチャッカリ頼んでおいた。