過剰な正義

過剰な正義は…当然だけど人を責め苛み酷く疲れさせる。

しかしそれより尚、主張する人そのものを疲弊させる。

 

過剰な正義は何故、人を疲れさせるのだろうか?

…それは『正しい』からである。

尚且つ、その正しさ以外一切の要件を認めないからだろう。

過剰な正義に糾弾されると文字通り『逃げ場が全くない』のだ。

 

『鬼の首を取った様な…』と表現される過剰過ぎる正義。

僕は鬼の首を何個も献上したとんでもなく情けない人間だ…。

それでもやっとの思いで逆恨みだけはしないように自分に言い聞かせた。

そんなの当たり前の話だけどこれが精一杯だった。

 

一方、カネを盗んでまでパチンコする依存症患者も…助けて貰った時は金輪際!と決意する。

そして、心ならずも「またやっちゃいました」となる。

 

そんな『心ならずも』は当てにならない。

二度三度、同じ迷惑かけて『心ならずも』は相手を失望させるだけ。

勝手にしろや!と見放されても当然である。

 

憤懣やる方ない『助けてやった人』は何れだけ腹立たしいか?

聞いてくれよ!となるも仕方ない。

助けたかった人がうって変わって過剰な正義人と一緒に沈没船に石を投げ込み始めるなんてことにもなる。

 

僕は依存症の人間を助けようとした。

 

その約束が破られる度に、僕が彼にとって『過剰過ぎる正義』を強要してたんじゃないか?と思う様になった。

その後、自らが彼の行状の負の遺産を一人で払わされる時に初めて感じた『過剰すぎる正義』に直面したからだ。

 

「犯人は僕じゃなく彼なのだ!」のエクスキューズは僕を思い上がらせ、過剰すぎる正義を彼にぶつけた。

自分はまるで殉教者のジャンヌダルクの気分だったのだろう。

現実は同じ穴のムジナだったのに…。

 

彼を助けると称するなら、僕は彼自身になってモノを見て事を行うべきだったのだ。

『何故、出来ないのか?』は結果としてのカネの問題じゃなく、原因は『彼の心の病気』だったのだから。

 

正直…温情は期待させても期待してもいけない。

それは麻薬の様にエスカレーションを呼ぶ。

相手に『ド外れた期待』を持つ様になるのである。

僕はどちらも経験した。

そして彼と同じ様に『嘘つき』と言われた事もある。

 

僕は人に正義を語れない。

それだけを学んだ気がする。

『増上慢の厚い座布団』に鎮座して…人の悪徳を『過剰すぎる正義』で切り刻む様な真似だけは止めよう。

 

今は未だ…悪徳の実践者としての自分を絶えず忘れるな!と唱え続けるしかない。