窮地に在ると

窮地に在ると人の心は見えてくるって人は言う。

経験則から、確かにそれは信憑性のある話だと思う。

 

日常において優しく見えた事は、単なる相手のパフォーマンス。

当然それをこなす相手も自分も痛みなんぞ一つもないという状況、条件下での話だった…苦境でやっとソコに思い至るのである。

 

苦境下で冷たい態度をとられた経験は、嫌な思いはしたけれどそうは堪えなかった。

そんな能天気の状況で、勝手に値踏みして頼った自分がアホだ!というのはすんなり飲み込めたからだ。

 

堪えたのは…不特定多数のカテゴリーに入れて良い位の、付き合いの薄い善人然とした人間達の『様々の悪意』の表現が突如として始まったことだった。

 

散々、居丈高な所から的外れで意味不明な言動で嫌な思いをさせ…意気揚々と引き上げていく。

そんな背中を見て、フーンと得心が行くまでにかなりの時間を要した。

 

こんなのが何人か時を同じくして訪れたから…此方の苦境と関連してるのは分かった。

しかし、何処かで『攻撃許可証』でも発行してるんかいな?と思う位、彼等の行動は手口も時もシンクロしていたのだ…。

 

日頃の彼等の善人然とした静かな日常はこの時の為のカモフラージュだったのかい?とマジにそう思った。

恐らく、唐突に始まるイジメのターゲットにされた人もこんな感じの戸惑いを持つんだろうなぁと思った。

 

彼等の『考えもしなかった正体』が一斉に表出したので解禁の号令でも受けたのか?と驚いた。

『彼等の日頃』と『隠し持つ正体』とのギャップは、後からなら笑いもしながら振り返れるが、御披露目直後の僕のメンタルは全く訳が解らない混乱ぶりだった。

 

極々希に…自分に向けられた思いもよらない好意と厚遇にも驚くこともあった。

相手が『思いもよらない人』だったからである。

 

ま、見事に人を見誤ってた訳だけど…底知れぬ恐怖は、直接の因果を持たぬ善人集団の唐突な悪魔表明だった。

通常の人の温かいとか冷たいとかいう評価基準を恐ろしく外れた…従順な善人達の突然の奇襲攻撃は、まるでゾンビ相手にしてるんか?と思うほどだった。

 

感情が日常のちょっとした風向きや雰囲気で一気にゾンビ化する人達の対処方法は、『絶対に日常の儀礼を遵守して対応する事だ』と学ぶには何度かそんな経験を必要とした。

そこで戸惑いに浮き足だってやり返そうモノなら…彼等は千載一遇のチャンス、天下に見せれる無礼をゲットだぜ!!とばかりに勢いづくからだ。

 

自分達のリンチを正当化する証拠となる…そんな事らしい。

という事は、彼等の攻撃は『後ろめたさ』一杯で開始されたという事でもある。

 

いわゆる『自己正当化の証拠の後付け』となるのだ。

 

間抜けな学校、教育委員会がイジメ調査で…この後付けされた狡猾な言い分を取り上げ…『どっちもどっち』なる奇妙な見解を出すのもこの経験があって簡単に理解できる様になった。

底浅い善人達のエクスキューズは、必ずチョッカイ出した後にゲットして後付けされていく。

従って彼等は徹頭徹尾矢面に立つことはないのである。

 

死んだバアサンが言って通り…どんなに腹立っても『短気は損気』なのだ。

 

そんな自分の怒りを鎮める為には「相手の心を思え!」…だ。

そんな「狡猾命!」で生きなきゃならない善人達の哀しみに気付く事である。

 

ソコに心を運んだとき…心騒がず彼等に失礼が無いように慇懃だが無礼とならぬ対応が出来るようになった。

苦境は僕に様々な立場の人達の心を、日々生きる為にすり減らされるその心の哀しさを教えてくれた様な気がする。

 

生きてる人達は皆、様々のその人特有の哀しさを抱え込んでいる。

怒るのは自分に対してだけで良い。

卑怯、卑劣を怒るより…それを働く人の哀しみを思った方が良い。

さすれば肝心の自分の心は救われるからである。