北大路魯山人と

北大路魯山人と美空ひばりに共通するのは類い希なる天賦の才能である。

 

一方で両者とも…傲慢無比なる性格、言動、振る舞いを押し通したのも似ている。

ジャンルを問わずに発揮される才能という点に於いても二人は共通している。

 

ジャズ、演歌、ポップス…どんなジャンルの歌も美空ひばりを通して美空ひばりの歌になった。

一方、書、絵画、料理、作陶活動、文筆…何れを取り上げても魯山人ならではの世界を作り上げた天才である。

 

才能と取り組みの集中力の乗数がランクを作る。

飛び抜けたランクにある人の、悩みとか美学とか…平凡な言い方をすれば『価値観』って奴が平均値にある人々と共有出来る部分は無いに等しい。

 

様々の非難とか中傷を浴び、恨みを買ったであろう二人。

平凡で凡庸な世界に生きる人達と唯一『会話が可能』となるのは『作品』だけなのである。

僕達はそれを見て聞いて『何かが違う!』と受信し、その何か?に稀有な驚きを与えられる。

 

彼等の才能は誰が何人かかっても止めることは出来ない。

当の本人さえ止めることは出来ない才能の奔流だといえる。

 

その作品の素晴らしさに於いて彼等の傍若無人振りを許せる人もいて、またゴリゴリにこき下ろしても飽き足らない!と否定する人もいる。

 

僕達の世界から彼等の苛立ちとか嘆きとか焦燥とか…精神の捩れる様な苦しみは解りようがない。

只、想像してみるだけである。

 

彼等の才能は類い希なる作品を多く残した。

そしてまたその才能故に凡人には知り様がない…振る舞いに対する人々の怨嗟にも似た批判的感情を浴びなければならなかった。

 

才能に比例して孤独と中傷がその持ち主におくられる。

彼等とて人間。

それはかなりの負担になったであろう。

しかし、自身の才能が止まることを彼等に許さなかったんだと想像するしかない。

 

半径二センチの視野の人に半径二万キロメートルの才能の世界は窺い知れないのだ。

僕達は半径二センチの視野で切り取った絵を見て、凡人は天才の才能を語るしかないんだなぁ…と思う。

 

僕達は、ほんの一端の切り取った絵面で人の才能、作品を評価し、また批判する。

彼ら天才達もきっと皆に『分かって欲しかった』だろう。

『分かって貰える訳がない!』と心知り尽くしていても尚、彼等は寂しかったに違いないと想像する。

 

誰もがその苦しみを分かり理解出来るなら…その作品は凡庸にして陳腐なモノにしかならない。

そこんとこ、分かって貰えないからこそ作品は得体の知れない魅力を発するのだから。

 

取引先の新人の若い女が、「この店はチュニジア見たいですね」と言い、自分がフランスで暮らした時の様に「ここはワクワクさせてくれる」と言った、とスタッフから聞いた。

そう聞いただけで僕の心は凄くウキウキしてしまった。

 

直ぐ答えを欲しがる…我ながらつくづく陳腐で凡庸な志だなぁ。

…と思いながら必死で渋面を作ったのだった。

 

誰にでも直ぐ分かるモノは直ぐその賞味期限を終えてしまうのである。