本当に欲する(2)

何故、人は成長と共に自分の求めるモノを本気で欲しがらなくなるのか?

 

幼児段階を抜ける頃から人は、自分の『欲求を抑制する事』での『取引』を覚えるという。

 

悲しいから泣いている。

ハイハイ、泣くの止めたらこのアメを上げるよ。

そこで悲しいから泣きたい欲求を我慢する事によってアメを得るという取引を覚える。

 

欲求を抑制する事によって『代償を得る』事に長けて来ると、動機(欲しい)を絶えず我慢して手っ取り早く『何かを得る』事がマニュアル化していく…という運びらしい。

 

次に、時として本気で欲しがった事によって人から浮いたり、奇異な目で見られたり、獲得に失敗して本気だった故に大いに傷付く…といったトラウマ的な体験が『本気の欲求追及にブレーキ』をかける事の上書きが日常化していくという流れ…。

 

ふと気付けば、本気の欲求を追及する事に『大きな恐怖』を抱く様になっていて、ソレが当たり前化している自分…。

作り笑いが板に付き、一体自分は何が欲しかったのか?

スッカリ忘れ去った『無難なだけの日常を生きている自分』が完成しているのである。

 

この頃、そんなこんなを考えていて…そうか!大人になると『無難な取引』に馴染んでしまってスッカリ臆病者になってしまうんだ!と思った。

 

保証の無い『自分の本気欲求』追及を、条件反射的に恐怖しては平伏すだけの人間。

遂には、自分は何がしたかったのか?欲しかったのか?忘れてしまうという状態。

 

自分がこの世に生まれ生きる目的が見えなくなると…『簡単にこなし、過ごすこと、命!』という状態はマニュアル化する。

それ以外は全て『異常事態』の迷惑沙汰と処理する様になる。

 

深刻なイジメ報告を無視して『無かった事』にする学校や教育委員会の感覚は、そういう日常、世情から醸成されたんだと思う。

解決するという勇気など微塵もなく、持ち込まれた『迷惑な非日常の異常事態』から一刻も早い現状復帰だけが至上命令となる。

 

まさしく『無かった事にすること命!』となる彼等の反応もまた、原因は『本分を追及する事の恐怖心』が純粋培養された結果の強迫観念なんだと僕は思う。

 

『本当に怖いのは何か?』と考えたい。

 

ホントの自分の思い、本分の実現を見ないまま妥協を続け死んでいくことなんじゃね?

終活も良いけれど、本当の自分を知らないまま人生の幕が降りるなんて…『とても怖いこと』だと思うけど。

 

若者達よ!

人生は安全に幕を閉じる事が目的ではない。

大切なのは自分劇場の終幕までどの様に自分を運び、味わうか?なのだ。

 

今の世の中、他人の評論名人ばかりだけど…。

自分のホントの欲求探検家にならなきゃね。

何時まで経っても自分の人生は始まってないんじゃないか?

 

『諸君!狂いたまえ!』…
※NHK  大河ドラマ吉田松陰のセリフから

 

狂うといった感覚でなきゃ恐怖は振り払えない。

自分を蔑(ないがし)ろにして来た自分を打ち倒すには…『狂おしく自分を思う』こと以外に有効な方法はないのだ。

 

間違った事を正常と感じるのは自分が狂っているからである。

自分回帰するには今を『狂うこと』しかないんじゃね?

…しかしそれもまた…ああ怖い!怖いなぁ…。