本当に欲する

自分が本当に欲するものを手にしないまんま、ソレを知らずに死ぬ人は結構居るんじゃね?…と最近思う様になった。

 

日常生活の中で、人は欲しいものを手に入れるメリットとソレに伴う苦痛とかマイナスとか
を天秤にかけてアレコレ決断する。

わかり易い例として、コ・ス・パなる言葉がある様に、出金の苦痛と得るモノの価値とを引き比べる。

 

『手を打つ!』と言う言葉がある。

意識的か無意識的か?

モノに限らず僕は…進学する大学、就職する会社、お付き合いする女、狙う女、店で仕入れるモノ、店や家の中の雰囲気等々のありとあらゆるモノ、コト、ヒトに対して『手を打って来た』んだなぁ…と思い至り、少なからず愕然としたのだった。

 

『カネに糸目をつけず』とか得る為には『労を厭わず』執念で以て妥協せずに追及した挙げ句に得たモノって本当にあったのか?

もとより本気、本当の自分が心の底から欲した事なんてあるのかい?…と自問自答を繰り返したのだった。

 

あの時は…とか、あの事は…と二、三『それらしい経験』があるにはあったけれど…。

ソコに妥協を持ち込まなかったか?と言えばそれも甚だ自信はない。

 

人は成長するに従っていつの間にか『掛け値無しの自己欲求の追及』を手放し、リスクを避けたり、人目を気にしたりしながら…やがて『自分なんか…』と自己不信をベースにして『手を打つ日々』を過ごす様になる。

 

考えて見ればとても不思議なのだ。

欲しいのに欲しがらない?…不思議。

 

やって駄目なんじゃなく、やらずしてダメ出しする。

そして誰に強要される事なく自主的にうんと低いレベルで手を打ち、妥協という意識も失ってそれを当たり前にしてしまうのである。

 

二度目のアカデミー賞を受賞したカズ・ヒロさんは日本国籍を捨てアメリカ人になっていた。

インタビューの中で「申し訳ないけれど、他人と同調する様にという圧力を強要される傾向が強い日本では、夢を追及出来ないと思った…云々』と。

 

安易な日本批判とかアメリカ文化礼賛なんて絶対しないけれど、彼の言葉には大きなヒントがあると思う。

 

兎に角彼は『本気で欲しがった』のである。

本気で欲しがった挙げ句に、日本よりアメリカの方が自分が欲しがる環境に適してる!と分かったということだ。

 

僕は今後、ここからの人生は欲しいものは正直に『本気で欲しがろう!』と思う。

そう思ったら今一番の恐怖は…自分という人間が『ホントは何が欲しかったのか?』それさえ知らずに死んで行くことだった。

 

自分の本気の欲求はそれを追及した時、僕にどんな喜怒哀楽をもたらすのか?

もし手に入れたらどれだけ嬉しいのか?

それ位は知って味わってから…死にたいと思ったのだ。