心ならずも

心ならずも…と思えども何故か?真意は伝わらず、関われば関わる程に感情も現実も縺れていくってな事がある。

 

幾ら気を揉んでも、相手の認識は変わらない。

然りとて此方も落ち度なぞ見当たらない。

そんな時は潔く一旦諦める方が良い。

意固地になって解きほぐそうとすれば火に油となるだけである。

 

少なくとも相手の怒気が落ち着く迄、絡むことを避けるしかないのである。

それから後の事は『天の思し召し』であると時間と成り行きに任せるのだ。

 

『受け容れる?』…というけれど、そんな心境になるのに恐ろしくエントロピーを要した。

『何故?何故?』が無限ループを繰り返して必要な事に全く手が付けられない。

眠れない夜がいつの間にか夜明けとなり、また雑然とした日常に出掛けて行く。

そんな事が嫌というほど繰り返された。

 

その果てに『諦める』があった。

やっと『自分には出来ない事がある』事を体で覚えたのだった。

悩み、不安の殆どは『諦められない事』が作っている。

帰って来る訳の無い時間に対する未練だったり相手方の心だったり…。

 

諦める事が、今迄とこれからの時間を浄化する。

 

どうにもならない他人の心をあれこれ悩むより、せめて自分は自分の事で悩もう!

そんなポジティブな気持ちが諦める事から始まる事を知った。

 

諦める度に、自分に対する誇大妄想が消えていき等身大の自分に近付いて行く。

卑下する様なネガティブなニュアンスではなく、胸を張って等身大の自分を誇れる様になるのが不思議だった。

 

自分で動かせる事なんてたかが知れてる。

それを学んだ人が、何かを作り出していける人なんだと思う。

 

『一人じゃ何も出来ない!』

ガッコの模範教師がよく言う台詞だ。

だからみんな仲良くね!って訳だが、一人でやろうと必死こいた挙げ句、行き詰まった人間でなけりゃその本当の意味は体得出来ない。

 

だから、言葉と観念だけで運営されるそんなガッコの現場は何時も『幼稚な大人のイジメ』が氾濫しているんだと思う…。

自分の限界に一度諦めを着けた人間は絶対イジメなんぞ出来なくなる。

 

自分を知ったから人にチャチャ入れてる暇なんて無くなるからだ。

無力を知った自分を本気で演ると時間は幾らあっても足りないのである。

 

『自分ご立派族』を抜けるには…ご立派をトコトンやれば良い。

するとそこら中が無理で一杯になる。

その無理だらけの中で悪足掻きしようにも何も出来なくなった時…人は『自分のご立派』を諦められるんだと思う。