何か

何か、大きな突き上げてくる様な欲求を目標とした時…人の心は突っ走る。

突っ走って『普段を生きてる人達』を置き去りにして未開未踏の領域に迷い込んでいく。

 

そこで悪戦苦闘してふと我に帰ると『自分の今』を語る相手が誰一人居なくなっている事に気付く…。

自分が見てる今と普段を生きてる人達が見てる今が余りにも乖離している事に愕然とする。

 

交わす言葉は同じ言語なのに、全てのフレーズが交わる事なく素通りしてしまうのは当たり前なのだが…その当たり前が酷くその人を孤独にする。

 

弱気になると人の言葉を当てにしたくなる。

未経験の領域での悪戦苦闘に当然心身は疲弊の極致に足掻く事になるから…。


 ……あの時 同じ花を見て美しいと言った二人の心が 今はもう通わない  あの素晴らしい愛をもう一度…… 

※加藤一彦  北山修  『あの素晴らしい愛をもう一度』の一節

 

身を焦がす様な熱情に身を任せ、まだ見ぬ世界を我が手に!と突っ走った我が身のワガママを他所に…人は身勝手に孤独を感じてしまうのである。

 

……シェリー俺は焦りすぎたのか  無闇に何もかも捨てちまったけれど……

 

※尾崎豊  『シェリー』の一節

 

自分の本意として突っ走ったならば、『分かって貰いたい!』と弱気になって願うのは身勝手なワガママだ。

何より自らの決意への冒涜となるのみである。

そんな事は分かってはいるけれど…。

 

とは言え、横並びに力をセーブしながら歩いていた時代の安閑とした平和な時空間に思いを馳せてしまう。

『これは自分じゃない!』として捨て去った、命の無駄遣いをしてる様な気がして辟易となったその時空間を、ノスタルジアを以て思い返すのは人間の弱さであり身勝手だ。

 

このままじゃ自分は『コウモリ男』になるぞ?

どっち付かずの、平凡でもなく個性的でもなく、しんどさをバロメーターに凡庸な男と夢みる男を都合次第で往き来する『自分擬き(もどき)』で人生を終える事になっちまう。

 

自分を追えば周囲の人は変わる。

というより、本当は自分が変わっているから関わり方が変わったのだ。

 

分かり合いたい?

分かる訳がないとして突っ走った自分だった筈。

何を今更、恥を知れ、恥を…。

答えは『これから』にしかない。

これからを求めて走り出したのだから。

 

苦しさに負けて『今まで』を振り返る。

とっくの昔に自分の求める答えはここにはない!と捨て去った『今まで』を、引っ掻き回して漁り…結局また『退屈』を探り当てる。

 

そうやって繰り返し繰り返し人の『決意』は磨かれていく。

 

……転ぶのは 前に進んでいるからだと教えてくれた……

 

※リトグリ  『幸せのかけら』の一節

 

昨日、偶然にふっと自然の中に身を置いた時、自分の今までのそんなこんながブワァーって溢れ出したのだった。

 

人間演るのは…とても楽しいけれど、とてもしんどいやね…。