過小評価していませんか

自信過剰は頂けないけれど…最近、若い人達を見るにつけ自分の事を過小評価し過ぎじゃね?って思うのである。

それは良い面悪い面両方の要素に於いての事だけど。

 

ヒトトシ取ってから「ありゃりゃ?もっと自分はチャレンジ出来たのに!」って事もあろうし、「自分は大丈夫!下手は打たない」とたかを括ってたら、自分の毒に振り回されて破廉恥沙汰を起こしたりってことになる。

 

それは自分の中の要素を様々考える前に、理屈抜きに『大したことはない』という前提で『ソコソコ狙い』で手を打つって生き方をヨシとする風潮を、幼少の頃より『空気で学んだ』結果だろう…。

 

確証もなく、空気で『イイコ』を要求する人達は『ソコソコ人生』以外を試した経験はない。

しかし、『そんな気がする』というレベルの情緒的な感覚は…執拗な相互監視で突出を許さない。

若しくは「許されない」と自己催眠にかかる程の濃密な空気での要求が社会を覆っている。

 

ソコソコで生き抜けるほど人は無力でも無能でもないし…一方では酷く醜悪で野卑な面も合わせて持っている。

 

瑞々しく枝葉を伸ばし成長の限りを尽くすべき時期に、早くも『適当に枯れる』生き方を自らに強要する生き方は…自分の生命力を舐めてかかっている。

良くも悪くもそれは人生の何処かで表面に吹き出してくる。

 

強制性交などという単語が日々新聞を賑わしている不思議。

『ヤリタイ欲望』を無かった事にしなきゃならなかったイイコ達の生命力が表面化している証左なんだと思う。

それは単に若者に限らず、ご立派な教職のベテラン達の年代にも見られる現象である。

 

東出君バッシングも良いけれど、『貴女は同時に二人の男を愛せますか?』と問えば少なくとも三分の1以上の確率で『ハイ!』と応える若い女達がいるのだ。

それは極めて素直な態度での自己分析だと思う。

 

『やらかしかねない自分』を知っているからこその知恵なのだ。

その自分の貪欲な醜さを『知っている事』が大切な『自分アプローチ法』だと思う。

 

人間の様々な才能というモノはよかれあしかれ『無いことに出来るほど軽い無力なモノではない』ということである。

 

東出君の世界の重要な才能 …『男好きがする』、『女好きがする』というのは一番大切な才能なのだから。

自分の罪深さという才能を少し舐めて掛かれば『そういう事』になるという当たり前の話だと思うのだ。

 

それを許せない!などと騒ぎ立てる『自分を綺麗な人間』としてしか認識出来ない幼稚な人間達は、ヒタスラうるさく面倒臭いだけである。

 

自分を知らない他者批判ほど醜い人間の姿はない。

自分の事を過小評価し過ぎると、そんなモノノケ見たいな醜悪な存在になっちまうんだ…と僕は思うのである。