悩める人に捧ぐ

悩みと言えば大抵…アンチクショー、コンチクショーってな人間関係という奴が大半を占める。

 

年齢を経るとあることに気付く。
悩ましい人間関係って奴は自分が自作自演してたんだな…と。

 

大抵…自分は面倒くさくなるとその人間から逃げて距離を取る。

所が…逆に自分がその様にされたらエラク軽く扱われたと勝手に怒り傷付いたりもする。

万事その図式で人間関係って奴は自分の中で勝手に認識されている。

 

僕の様なトラブルメーカーは、この図式を濃縮して拡大してドップリ浸かっていた為に、クタクタに疲れ辟易となった限界寸前にパッと降りてきた正解が見えたのだった。

 

人と真剣に話さなきゃ親が死ぬ?なんてシリアスな問題はそうそうあるものではなく…人と人は会う為に会っているという場面が殆どを占めている。

要は、どっちに転ぼうとノープロブレムの話が圧倒的に多い。

 

ソコに相手を支配しようとしたり君臨したがったり有り難がられたいと望んだり。

そんな我欲を持ち込む事によってトラブルの大半は引き起こされている。

 

自分は水になるのである。

そうすれば相手の望む器に入り相手の望む器の形になれる。

所詮どうという問題もないのだから支障はない。

四角なら四角に、三角なら三角に…なる。

 

相手が僕を嫌悪したり必要無しとすれば、僕をドブ川にでも捨て去るだろう。

そのまんまドブ川を流れその人から離れ行けばノープロブレム…。

 

それと同じ構図で人に対して自分もしてる事なのである。
『自分の行うことは人も行う』という事に気付きさえすればソレが見えてくる。

何も腹など立てる必要はなくなる。

 

水に流すんじゃなく『自分が水になって流れ去る』のだ。

大したこともない問題で揉める相手なら、早晩また同じ様に揉め事が発生する。

 

不必要ならさっさと自分を捨てて下さいな!…のスタンスを取れる様になると自分は水になれる。

 

どうでも良いことが沽券に関わってたり、プライドだったり見栄だったりしてたんだな?と分かった時、人は苦笑いする。

自分で恥ずかしくなるから…。

 

寂しい為だけにつるんでる群れは、必ず安らぎよりストレスの方が大きい。

これは僕の経験則だけど…。

結果群れて余計にさびしくなってたのね?と分かった時、エラク脱力してしまった…。

 

無理から感情を動員して蠢くより…黙って無理せず水となって過ごしてれば自分に取って価値ある人が現れたら勝手に適正に感情は動き始める。

 

どうして良いか?分からない?

 

どうやったって上手く行く筈もない関係を無理から作って首を突っ込む。

縺れさせて怒りまくって挙げ句に疲弊する。

それでも付き合いってモノが…と無理をする。

そんなモノ、どうやったって端から良くはならないのです。

必然ではなく作為のみだから…。

 

水になれば良いのですよ、只の水に。

相手の事を見逃し、聞き逃し、遣り過ごして差し上げる。

自分は水…態度は相手のお望みのまんまになれるのですから。

 

心は動くまで待つ。

 

心動かぬ癖に感情ばかり動員して右へ左へと捏ね繰り回す。

挙げ句に感情を使い果たすのである。

悩みの原因は『自分は良いけど人がするのは許せない!』という餓鬼そのまんまの身勝手なのだ。

 

人と会うのに何も用意しないこと。

水の様に相手の形に添ってみる。

必要あればまたお呼びが掛かるでしょう。

無ければそっと流れ去る…。

 

無闇に構えず人と対してみる。

いきなり斬り付けてくる辻斬り見たいな人は先ず居ないのですから。

間違っても自分をイイ人になんて仕立て上げない様に…。

全然イイ人なんかじゃないでしょ?あなた。

後になって大変な苦痛になりますからね。

 

懲りずに淡々と水を演りましょう。

ひょっとしたら『水が合う人』との出会いもあるかも知れません。

 

自分はひた隠しておいて上手く演る?

…そんなの何時まで経っても人と『水と油』の関係しか出来ませんわな。

そして言うんでしょうね?『人間関係は難しい!』って。

 

自分が難しくしてる事に気付けないと、その悩み一生モノとなるでしょう…。