無礼&不躾

無礼と不躾は頼みもしないのに日々着実にやって来る。


日替わりでアンチクショーやコンチクショーのニューヒーロー&ヒロインが登場し、当然、フラストレーションの処理は追い付かない。

未消化の鬱々としたメンタルの上に重なり続ける無礼&不躾のストレス。
こりゃ何とかしないといけない…と思った。

そんな輩は此方が不調をきたしている時に限ってここぞとばかり数を増してやって来る。
まるでずっと見張ってたのかい?と聞いてみたくなるバッドタイミングなのだ。

以前書いたマウティングの横行なんてのも無礼不躾当たり前…『演ったが勝ち!』ってな風潮の中で横行する様になったんだろうなぁ?

育ちって言えば直ぐカネ具合の話になっちまうけれど…昭和の高度経済成長前後のこの国は貧乏人が多数派だった。
しかし、貧乏家庭の小倅も小娘も不思議と基本的な礼節を教えられていたのである。

むしろ、懐具合が豊かになるに連れて無礼不躾な輩が増加していった不思議である。
だから、『衣食足りて礼節を知る』っていうのは嘘だな?って感じるのだ。

衣食を支えるカネ具合って奴が礼節に優先した結果…今のこの国の状態なんじゃね?
決して貧しさ礼賛してる訳じゃなく、昔は良かったなんて懐古趣味で言ってる訳でもない。

カネは大好き!だけど…人間の文化度合いがそのカネにスポイルされてしまったってのはシンプルに…余りにもカッコ悪いよね?って言いたい。

タイミング的にはこの国の大半の人間達がまた貧しさへ回帰して行くだろう事が明白となった今、カネに浮かれた無礼不躾をまんまにして貧しくなっちゃうと悲惨なイメージばかりが一杯出て来ちゃうよね?…って思う。
パン一つで殺人事件…なんて事が…ね?

無礼と不躾をストレス無しにやり過ごすには、不感症になりましょう!という提案です。
コツは…「何故、この人はそうしないと気が済まないのだろう?」…とその人の出自から原因を必死で探って見ることです。

苛立ちは純粋な興味と探求心へと昇華を果たし猿山の研究者となったかの様にその生態に飽くことなき興味が涌き出ます。

心は無礼不躾から離れ何も感じなくなる。
何故?が次々と湧いて来て気が付けば無礼不躾劇場は終幕を迎える…という運びとなります。

若い時分、ある人が僕に言った事があった。

パートナーを選ぶのに家柄なんて問うたってなんの意味もない。

カネ事情は時と伴に変わっていくものだから。
しかし、相手の家風は問わねばならぬ。
家風というものはカネ事情や時間などで決して変わるモノじゃないからだ…と。

今思うに、それこそが文化であり人品なんだとその人は言いたかったのだろう。