スルーっていう表現

客観的には忘年会スルーは『忘年会離れ』なんだろうし、既読スルーは『無視』って事だろう。

 

これを『スルー』と表現すれば、何やら対象に対して生殺与奪の権利をもって上から目線での対応しているってニュアンスが生じるから不思議だ。

大した事じゃない些末な問題に…大袈裟にマウント取りたがる態度。
現代を生きる人達に蔓延している、ひどく燻り続ける欲求不満がその背景にある様な気がするのである。

他者をスルーする度にスルーされるかも知れないという怯えを自分に仕込んでいるその姿は、犯罪者心理にも似て人を落ち着かせなくさせる。

冷静に見えて何時も心の表面が忙しなく泡立っている様なニュアンスを感じてしまうのだ。

若い人達に限らず、マウントを取って攻める時の立場とは裏腹に…あらぬ攻撃に遭遇した時エラク動揺しプライドの欠片もなくファビョる人の姿を目にすることが多くなった。

そんな些末な心理合戦にばかりうつつを抜かしてると、自分の人生は何がなんやら分からなくなるのは自明の理だと思う。

そんな人間そのものだった自分の経験を言えば、自分の堕落を受け入れ認める所からが反転攻勢への糸口だった。
自分の駄目さを笑える様になると、そのまんま人に対して飾らずに自分の駄目を広げて見せ語れる様になった。

それでその種のマウントは全く怖くなくなった。

そんなレベルの優劣?を競ってる人達がとても辛そうに見える様になった。

時にワザワザ出向いて来て…散々マウントしてくれる輩が居るのだが、必死にやり込め様とするその心の哀しさが読める様になると…そんな時間は早々に切り上げて差し上げられる様になった。

『君は大丈夫!だから』…君のために頑張れ!

別れ際そんな言葉さえ脳裏に浮かぶ様になった。

『自分を肯定する為に他者の否定を必要とする人』はそのマウントのポーズを他所に、とても寂しそうに見える。

そんな人達に取ってネットはとても便利なのかも知れない。

いきなり赤の他人の奥座敷に踏み込んであらぬマウントを取り、狼藉の限りを尽くせるのだから…。
匿名性を免罪符に、まず反撃を受ける事もない。

マウントを取り人を謗りながら…微熱の様な隠微な興奮を脳の一部で暫しの間得るのに血道を上げる。
しかしその他大勢の内の一人の彼は…対象から『冷徹なスルー』をされてる事にやっと気付いて憎悪が増していく。
この無限ループ、終われんわなぁ…。

スルーの態度は何も生産しない。

人間本来の満足も醸成しない。
相手を傷付け、やがてその後ろめたさが本人から自己信頼をジワリ奪い取って完結するだけなのだ…。