バイアス?

バイアス…とは偏りとか偏向を表す言葉。

 

よく使われるのが『正常性バイアス』で、これは大変な事態を目の前にしても『大した事にはならないだろう…』との感覚で異常を中々受け入れられない精神作用の事である。

 

それで一番多いバイアス作用は、『自分性バイアス』じゃね?と思い至った。

「自分に限って…ない」という思い込みである。

コレが高じて「自分だけは上手く演る!」っていう過信にもなる。

 

見え見えの事になっていても、イケシャアとさらりと行うご仁が多いのはこの自分性バイアスの影響だと思う。

 

考えてみたらバイアスはたくさん存在する。

『日常』ってのも大きなバイアスだ。

さらりと行われる日常の諸事。

少しずつ少しずつそれと馴れ合うから大きな出来事とは思えなくなる。

 

香港の人達の事態に対するレスポンス(反応能力)を見るにつけ、どうしちゃったのかな?この国?…って僅かに後ろめたさが頭を過る。

 

日本の子供の7人に一人が食事を満足に取れなくなった今も、平成以来『慣らされた結果』…行動はおろか話題にすらならない。

 

パンケーキ食べたい!♪…なんてのが繰り返し取り上げられても…子供の飢餓は日常性バイアスがかかり傍観の態度(勿論僕も含む)。

 

その『当たり前』に馴れ合う自分がさらに事態を悪化させてる一人という理屈は解るけれど…現実的なレスポンスはしない。

 

無思考の凡庸が作る大罪…ハンナ・アーレントについて書いた事があった。

「アウシュビッツに収容所が出来たんだって?」と日々能天気に過ごした当時のドイツの民衆と同様に、僕達は人格ある子供を七分の一の不幸として分数で語り傍観している。

 

こりゃ、随分と病んでるな?自分…と思う。

 

社会からそんな扱いを受ける七分の一の子供達の人格を日々スポイルしては殺している事に、消極的参加だからと逃げ道を作り、見えない事、見ない事は『無かった事に出来る傍観者』。

この国のレスポンス能力は、既に社会的犯罪の領域に在るんじゃね?

 

スマホはチェックしていた、という大阪の不明女児の母親が特段変なわけじゃない。

この国の『普通の日常的な母親』という点に…この国の『子供達に対する普通』が長い時間を経て歪んじまってるんじゃないか?と思った。

 

その責任は家族にではなく、社会に在る様な気がするんだけど…。

 

ご飯が食べれない子供が居る。

「ふーん」とやり過ごせる社会は、足を止めてふと考えるとかなり異常であり冷酷なのだと思う。

 

「うち来る?」「…うん!」となる少女が、頭脳的に劣ってはいないのに、まして警戒心も強いと言うのに。

日常性バイアスを悪用して自分を無思考に誘導してきた僕達の総体的社会が子供達を落とし穴に投げ込んでるんじゃないかと感じた。

 

自分にバイアスをかけるのは楽になれるからだけど、楽にしてくれる無知・無思考は人間の武器なんかじゃない。

人格の破綻という致命傷に誘導するのである。