言ってくれなきゃ

言わなきゃ…分からない?

 

兎に角、英語と英語圏の仕事の進め方万歳!の時代がかつてあった。

英語が必要なのはよく分かったけれど、それから長い時間が過ぎ…日本人的資質『察する文化・能力』がスッカリ退化したようだ。

 

何でも文書にしないと、言った言わないの問題が起きる。

『察する文化』はナアナア文化として槍玉に上がったけれど、絶えずメンタルが気働き状態にあったコミュニケーションはかなり高度なものだったんじゃね?と思うのである。

 

言ってくれなきゃ分からない!と宣うガサツ女子を観ていると、『言われるまで改めない』輩が多い。

何処で覚えたのか?分かりきってる事も指摘されるまでイケシャアとしてすっとぼけているのだ。

 

「愛してる」と言葉にするととても分かり易く、あれこれ思案する必要は失せる。

しかし、あれこれ思案する中に深みや中身が充実していく要素もある。

分かり難くまどろっこしくはあるけれど…。

 

分かり易い事は良いことでもあるし、また最悪でもある。

曖昧模糊としたニュアンスこそがその組み合わせ故の醸し出す味を作っていく。

 

手間隙は、ある人種には必要不可欠で、ある人種には面倒で堪らない障害ともなる。

深い情緒をコミュニケーションするには『察する文化』無くしてあり得ない話なのだ。

 

『侘びと寂』なんてのをどう言葉で説明すんのよ?って話でもある。

そんな日本的な情感はね、『聞き取る』んじゃなく『感じ取る』ものだから。

 

日本の携帯はガラパゴスだなんて散々揶揄されたけど、メールにおいてあれだけ精密な候補を表示出来るなんて奇跡だ!と、とある在日のフランス人が力説していた。

 

相手の潜在欲求を阿吽の呼吸で察知出来る日本人の才能・文化は、サービス業において世界を唸らせている。

 

何でもかんでも世界基準礼賛じゃなく、日本ローカルが大きく世界を凌駕してる部分こそフォーカシングすべきなんじゃね?!と僕は思うのだ。

 

それがグローバリズムを戦い抜く日本の戦略となるんだ…とね。

アメリカ人の様な日本人より、日本人らしい日本人が国際化を遂げるのである。

 

「言ってくれなきゃ分からない」なんて、イケシャアと主張する女は何処か野蛮で野卑、如何んとも底浅い。

そんなのに限って人の心に岩塩を擦り込む様な発言を繰り返すのである。

 

日本人なら『察するという文化』を以てデリカシーある一人前の女として欲しい。

「言ってくれなきゃ分からない女」にはイコールの男がセットで付いてくる。

そんな女が優しいって評する男達だ。

 

女を前に説明的に喋り過ぎる男は、優しいんじゃなく…只々自分に自信がないだけなのである。