イタリアンリストランテでの

イタリアンリストランテでの出来事が物議を醸している…らしい。

 

コース料理(4000円)をやりつつ単品もOKの店でふたり連れの女性客がパスタ一品のみの注文をした。サラダ他をすすめるも「お腹が空いてないんですけど…」と断わられた、そんな話である。

 

従業員君はその『非常識!』に怒ってSNS発信。

すると、「お前こそ非常識!」なる意見も殺到…炎上となった云々の話。

お互いの譲らぬ『非常識だ!』という主張故に、ぶつかる事は必定だ。

 

僕は同業故に「私達は客だ!」という、何でも演って良いという態度には辟易となる事はままあるからその怒りは理解できる。

五人で来て四アイテム注文、私は水だけで良い…なんてのが居るのだ。

 

何処でお育ちになったの?『井の中王国』のお姫様でも長く演ってたのかな?と言いたくもなるが、此方の常識はそんな相手にとっては非常識になる…という流れを熟知した今では放置に努める様になった。

 

昔から格差なるものはあり、習慣の階級的な差異は良かれ悪しかれ存在していた。

も少し人々に余裕がある時代はお互いが『その事を知っていた』んだと思う。

これは差別じゃなく現実の事実としてだけど。

 

『自分を知り、また相手を知ろうと意識してた』からお互いが相手の立場と事情を想像出来てたんだと思う。

お互いが相手の思いと事情を認識し、尊重するという『文化的な振る舞いとやり取り』が当たり前として存在してた様に思う。

 

カッコ付けて言えば、どんなに貧富の格差あれども議論の元になる『お互い様フォーマット』を共有し、その上で議論が成り立っていたわけだ。

 

以前書いた『分を弁えるということ』で散々書いたから詳しくは割愛…。

 

店構えとか雰囲気、逆にお客様の論理の程度とかをお互いが想像し認識する能力だろうと思う。

お腹が空いてないから一品のみ(客事情100%)という主張を聞いたら、従業員君は直ちに引き下がるべきだったと思う。

理屈が通る相手じゃないと判断すれば良かったね。

そんな鈍感非常識な客でさえも認識せざるを得ない店作りをするしか無い。

 

以前、午後過ぎの暇な時間に来店した若い女二人組がお茶とデザートで一頻り喋り。
帰る際の会計で「失礼しました。私のような小娘が座って良い店ではないと入ってから思い知りました。如何に私でもそれ位は分かります。今度はちゃんと食事に来させて頂きます!…ご馳走様でした!」と言われた事があった。

 

何一つ落ち度のない振る舞いと思えたお客様が、その様にうちの店を捉えてくれていた事に頭が下がった。

 

「こんな私でもそれ位分かります」

そういう彼女に、それはね、杞憂です。あなた方の様なお客様に使って頂きたいのですよ…と僕は応えた。

 

『お互い様を知ってる人』は、小娘でもウーマンじゃなくレディなのだ。

カネ貴族は無理だけど…せめて心はレディース&ジェントルマンで在りたいと思う。

 

せめて自分を弁(わきま)えたいと願う。

自分の考えと事情100%で主張するのは…決まって小作根性のなせる業(わざ)なのだ。