諦めのメカニズム

諦めのメカニズム

 

『身のほど知らず』

身のほど知らずは文字通り、身のほどを知らないからこそ出来る思い上がりの失態を繰り返す。

だからやった事の意味の軽重なんぞ分かり様もなく、顛末の責任など取れる訳がない…となる――――――――…

 

 

『人命の虚実』

人命は等しく尊く尊重される。だから憲法25条には国民は等しく最低限度の健康で文化的な生活をする権利を有する…とある。

今更、ホームレスの避難所受け入れ拒否問題を蒸し返しても意味はない。

この国は、憲法にさえ嘘をつく事が『日常の当たり前』なのだから――――――――…


上記の二編は、書きかけてはボツにした沢山の中のもの。
何故、続きが書けなくなったのか…?

 

喜怒哀楽の怒りに関する世の中の問題は、その起承転結全てが同じ構造でシャラっと行われる。

その後のやるせない人々の憤懣も同じ調子で一時的に吹き荒れ…瞬く間に水泡の如く消えていく。

 

非常識万歳勢力は、この一連の流れをとてもよく承知している。

少し沈黙しとけば収まります。大丈夫ですから…って事だよね。

 

秋葉原衝動的大量殺戮の時は…その衝撃は不謹慎ながらとても新鮮で衝撃的だった。

今は、「またか?」的な処理に慣れてしまった。

 

人の『諦観』って奴はこうやって醸成されるんだな?と思った。

『無力を思い知る体験の執拗な繰返し』である。

結果…非常識は次々と味をしめ、真っ当は徐々に疲弊していく。

 

諦観に流れるなら、お前も非常識に与する勢力ってことだぜ?…と自分に言っても、重~い諦めの感情は波立たなくなってしまった。

 

追従?媚は売ってないから、せめて消極的棄権なんだから勘弁してよ!

そんなエクスキューズが自分の怒りを中和していく…。

 

若い奴等がピュアな怒りを爆発させる時…「止めとけ」「お前等も今に分かるから…」なんてセリフを吐くオヤジになっちまったんだろうか?

一番嫌いだった大人になり、馴れ合いの国に流れ着いたのか?

 

明日をワン モア チャンス!!と出来るのか?

同じ諦観のワン モア タイムに流れるのか?

 

「どうせまた…」と呟く諦観の奴を黙らせる所から演りますかね?

こりゃ結構難敵だなぁ…