むかし…

昔一緒に走ってた奴が、「お前はグランドを走りながらあんな事を考えていたのか?」 と言った。

 

先般書いた『恋と鉄パイプとナボリタン』という『二十歳の原点』を遺した高野悦子さんの生きた時代を書き留めたモノの事だった。

「鉄パイプはゲバ棒の方が分かり易かったね?」なんて話してた時だった。

 

「クッソませたガキだ!」と彼は僕に言った。

あー疲れた!バタンキューと寝てた自分が随分能天気な気がしてくる…と。

 

僕から言えば…純粋にスポーツ少年に徹っしていた彼等にコンプレックスがあった。

目の前の一秒に専念してる彼等が羨ましかった。

何故かそんなモノに取り憑かれて、深夜まで本を読んでしまう自分は『どうかしてる』と感じていた。

 

僕はずっと『無い物ねだり』をしてたんじゃないか?…最近そう思い至った。

根性論とフィジカルで出来たランナーである事にコンプレックスを感じていた節がある。

 

稚拙ながら、思索的に政治や哲学なんてモノを静かに語っている人達に、『自分に無いモノ』を感じていた。

ある教師が言った「お前らは馬じゃ無いのに走ってばかり…」。

そんな見方もあるんだ?と『価値観の違い』って奴に衝撃を受けたりもしてたから。

 

サラリーマンになれば自由を欲しがり…独立すれば一転サラリーマンの安定が羨ましくもなったし。

 

アホらしい苦境を何とか生き延びて、今になって『一芸は万芸に通ず』って事にやっと気付かされた気がする。

どんな立場、職種であれ『思考のセオリー』は同じだと思うようになった。

 

その肝は『自分基準』なのである、と。

 

基本や決まり事は人と同じに守るしかない。

その上で自分の勘に従い切る事なのだ。

それが、『飲食業をやってる自分』じゃなく『自分が演ってる飲食業』となる唯一の方法だと気付かされた。

 

アリキタリじゃない個性ある仕事はそのスタンスによって作られる。

真剣にメニューを考えてると、哲学だの政治なんてのは当たり前に考えている。

単に自分の飲食業には必要だから。

 

全ての職業は99%同じ要素で出来ている。
残り1%が何々業という食質の違いなのだと思うようになった。

無い物ねだりは、やっている事に専念出来ないエクスキューズに過ぎない。
俺はお前達とは違う!そんな鼻持ちなら無い思い上がりの為に政治や哲学に逃げを打っていただけなのである。

お前達とは違うランナーになることこそが、自然と政治や哲学を身に付ける為に必要な事だったのだ。
なんでも良い。

一つの事に対して『一心不乱』となる時に、人は万の分野に思考を巡らすようになる。

 

エクスキューズまみれのランナーだったけど、今の僕はレベルは別にして、料理を通して世の中を見れる様になれた気がするのである。