食事は

食事が終わった時には既に、供されたメニューは跡形を消している。

 

しかし、それから何年過ぎても印象深い人間達との情感豊かな交流は何時までも心の印画紙に焼き付いて離れないものだ。

 

あの時の○○の味は染み込んで来て△△さんはこう言ったよな…と情景が鮮やかに浮かぶ。

その『瞬間の証拠』は心が保管し続けるのである。

 

その瞬間に姿を消していくメニュー達。

だからこそ心に刻まれるのかも知れない。

まさしく一期一会そのもの、その時のみの一回こっきり。

再現しようのない奇跡の瞬間だと強く認識させられるのだ。

 

単なる映像記録として残せるインスタグラムを…その時の印象全てを残せると『誤解している』からこそのインスタ撮影花盛り…なのかもね?と思う。

 

『その場かぎり』の一回コッキリ…その儚さを思えば撮影なんぞしてる暇はないのである。

相手と正対して六感全てを駆使して時空間全てを味わい切るのだ。

 

何が言いたいか?

 

今目に見えるもの、数えられるもの…というものしか信じられなくなっている?

自分の心というものの優先順位を随分とさげてんじゃないの?

 

結婚式の写真なんて、押し入れで眠ってる。

しかし、その時の○○さんのスピーチは折に触れ思い出したりする。

それは心が覚えているからだろう。

 

これをして昨今、即物的に過ぎるなんて高説をぶつ気なんぞ更々ない。

寝た切りになってさえ、心の映写機はハッキリとその時を映してくれる。

『心に来る時空』の中で、心で見て感じるという事が大切なんじゃない?と思った。

 

折角の命を使っての体験…随分と損をなさってますぜ!って言いたかったのだ。