誰か

誰か、もっとボランティアの助けが必要ですか?

 

自宅全壊の瓦礫を素手で瓦一枚ずつ片付けてる老人にテレビのインタビュアーが聞く。

暗に、(ボランティアが足りないでしょう?被災地の人達はこんだけ苦しんでるというのに)
そんな自分の正義の論理を、涙を浮かべながら片付けてる老人の口から喋らせようというインタビュアーの安易な意図ばかりが漂ってくる。

 

分かり切ってる事聞くんじゃねえよ!

 

「私だけじゃないから…皆さんそうだから自分だけ我が儘は言えないよ!」

老人はそう言って泣き笑いする。

 

さっとマイクを引いて、インタビュアーは「まだまだ人も機材も全く足りない現場から以上です」なんて毎度の締め括り。

 

「今のお気持ちは?」なんてのもある。

悲しいに決まっている。

見りゃ分かるでしょ?

 

『大変な現場』の臨場感の為に…語る気力さえ失ってる被災者に鉄板、定番の台詞を言わせようとするインタビュアー。

下卑た根性丸出し、急ごしらえの深刻な表情を浮かべながら、俯き無言の被災者にマイクを向けてしきりに頷いて見たり…。

 

こういう場合のインタビュアーって、どうして『私の感情表現』をしたがるんだろう?

とても不思議なのだ。

お前の気持ちなんて興味ありませんけどぉ…。

 

もっと冷徹に作為を入れずに淡々とプロフェッショナルに報じてくれよ。

その安易な安普請のヒューマニズムが被災者に対する共感に妙なハレーションを持ち込んで来て邪魔をするのよね。

 

こんな『勘違い人間』が増えている。

 

真の苦しみの最中に在る人に対してせめて出来るのは、対岸の火事を見ている立場を感じさせない事なんじゃね?

淡々と道端の石の如く自分の気配を消せよ!それがせめてもの人の礼儀なのだ。

 

安易なヒューマニズム演技って一番それ感じちゃうんですよね。

上から目線って奴。

まともな感覚の人間なら恥ずかしくなっちゃうのよその勘違い。

人の弱み・窮状を前にする時、隠しようもなくあからさまになる人の傲慢さ不遜振り。

インタビュアーが語れば語るほど観てる側が観念的になってしまう。

 

そこにある涙を流す事さえ忘れてしまう被災者の現実の悲惨さが、毎度お馴染みの「大変ですね?」にすり変わり、日常のニュースの一つとなってワイドショーは終わる。

 

自分が把握しきれない悲惨さ、苦しみを前にして『何も言えなくなる感覚』っていうのはとても大切な感覚だと思う。

 

抗いきれない悲惨を抱えた人を前に、自分の無力に立ち竦む感覚こそが立場を越える事が出来る人と人との共感の始まりなんだと僕は思う。

お互いの『無力感』の共有から勇気ある未来への第一歩は生み出されるのではないだろうか。