無知の傲慢

無知は…人を傲慢にする。

 

当然、基礎学力的な無知もあるがそれは無知の内のほんの一部でしかない。

形而下に於いても無知は存在するけれど、形而上的無知となれば…殆どの人が無知の極みといって良い状態だと思う。

 

人の痛みを知らない…なんて日頃よく使われる言葉だ。

これも『無知のなせる傲慢』である。

知らないから出来る暴挙だという事だ。

自分は痛さを知らないから好き放題、やり放題である。

 

今、自分が演ってる事をレベルをアップさせる鍵は、今の『自分の無知の中』に隠されている。

自分がその無知の部分を解明出来ない限り質的な向上は望めないのだ。

 

知り合いの建築士が言ったことがある。
「優しい人はみんな貧乏人だった」…と。

 

貧乏人は、行き詰まって窮地に在る人の痛みを自分の体験を通して『知っている』からだと思った。

これって学歴なんかより余程重要な『哲学的知恵』なんだと今なら理解出来る。

 

僕を含めて…人多く『自分には知らない事が沢山ある』という事を知らない。

だから、おいおい人は『今の自分が知っている事』で総てを理解し、行おうとする。

 

本当の解決は、まず『自分の知らない事』を知ることだ。

それで初めて理解出来るし、解決に至るんだと思う。

 

自分の無知に気付かない人は(人間的無理解を含む)、大層『無邪気な悪意』を振るうものである。

皮肉な事に、自分が他者の無邪気な悪意の…大上段の正義に切り刻まれ苛まれて初めて『人の痛み』を学ぶ。

 

無知な傲慢君ほど、自分の『真の罪』を知らず自分の悪意を成長させる。
無意識に尊大になり、不遜な振る舞いを巧妙に行う様になる。

自己満足ばかりが成長してる事に本人が気付く事はない。

 

そういう人は今の自分を全部、己が作ったかの如く語り、そして行動する。

他者の断罪ばかりが上達し、自分を断罪することはない。

当たり前である。

当人は自分の犯した人間的罪を知らないのだから…。

 

『罪の無い笑顔』で『無邪気な悪意』を 滔々と語る。

…罪のない面々の集団はそうやって形成されていく。

 

教育委員会は教育行政の細部の些末な技術まで熟知していると見える。

しかし、彼等が教育の根本的意義については酷く無知なのが透けて見える。

 

彼等は『少年の死、少女の死の意味』を全く理解出来ないかの様だ…。
恐ろしく無知の顔をして、若い命が失われた事には全く無頓着な顔をして「イジメはなかった!」を押し通す事だけに血道を上げるのである。

 

彼等は命の意味や命を尊重する教育に関して全く無頓着であり、そこは無知である事を頑迷に貫き通すのだ。

 

そういった意味で…無知は最強である。

人の痛みはおろか、人の死までも完璧に自己の都合と論理でチャッチャッっと処理して進む事が出来るのだから。

 

立場と身なりがご立派な無知傲慢人間の無邪気な悪意は、今日も人の心を苛み切り刻んでいる。

斯く言う自分もその一人だっただろう。

それは取り返しは出来ないけれど…せめて、せめて自分は遅ればせながら『その事(自分の無知の罪)を知る事が出来る人間』になりたいと思う。