デニムは

デニムは、今やファッション世界の『ご飯・パン』となった。

 

『デニムを着る』だけではファッション表現にはならず、『どの様に着るか?』詰まり『オカズ』のチョイスの仕方で千差万別の表現となる。
                               
洗練とゴージャスから野放図なナチュラル、グランジまでどんなオカズでもシックリ馴染ませるデニムは、優れた『パン・ごはん』=ベースである。
知ったらしいファッション講座を開きたい訳じゃなく…観念的な『デニム』といった捉え方は実際、装いの生活を指向する時にはなんの役にも立たない『情報』なのだと言いたいのだ。
                
観念で捉えられた情報は選択肢を狭める事にしかならない。
                        
不良、チープな普段着、ちゃんとしてないカジュアル…そんなのがデニムの観念的イメージだろうか。
そんな観念でデニムをチョイスしてしまうと…団地で洗車に勤しむ日曜日のサラリーマンのオジサン的なイメージになる。
生活感溢れるファッションが関の山。
もちろんトップスはユニクロのポロシャツ…とか?
                         
デニムはデニムだけど、ファッションの中で万能性を有するイメージ展開を自由にしてくれるアイテム群…と理解できたら選択肢は無限に広がっていくというわけだ。
                          
世の中で繰り広げられる、事象に対する二種類の『解釈の仕方』の例としてくどくど書いてみた。
詰まり、短絡的に事象を『観念で観る解釈』と、性質とか性向という『内に包含されている意味での解釈』があるということだ。
                 
この二種類の解釈方法が混在していると一つの事象に対して全く噛み合わない二つの意見が延々と平行線を辿る事になる。
例えば憲法9条を非戦の象徴として、お題目の様に『憲法改正反対』をひたすら唱え続ける人達がいる。
従ってこの国に軍隊はあってはならない。
自衛隊を明記する事も反対である。
                        
観念的正義は大変結構。
                   
しかし防衛を現実に考える時に、彼等は憲法に載らない実質的軍隊をどうやって動かすのか?
『陸海空軍、その他の戦力をこれを保持しない』
…非戦、平和憲法を駆使して軍隊無しで防衛するという主張は、現実的には全く機能せず防衛の意味をなさない…。
                       
9条の意味する所を『先制的で主体的な戦争を完全に否定する』と捉えれば自衛隊の存在を明記する事は出来るだろう…となる。
革新側の観念的シンボライズされた9条は、とても不自由で硬直的で現実世界で機能出来ない。
                         
字面を追い掛ける観念的な解釈はそうやって現実の世界での選択肢を失わせる。
                     
教育も同様に進学率、偏差値での優劣を中心の解釈で据えると殆どの若者は敗北感を隠しながら『下との比較に自分の救いを求める』歪な価値観を持つに至る。
                
『青少年の未来を開く育成』と捉えれば、大工や左官になる為の教育もあり得るし、一旦社会に出た者に基礎学力をアップさせる教育もあり得る 。
様々の能力の未来の為の基礎を付与し、また模索させる機会として機能する様になる。
             
観念で捉えられた認識は現実を硬直化させる。
                     
学校は、警察は、ひたすら観念的正義を行う場所となる。
従って不正やイジメはあってはならないし『ある訳がない』イレギュラー事件。
選択肢は一つ…『当該組織には落ち度がない!』
…結果として「不幸な結果となった」?的な摩訶不思議なまとめでチャンチャン…である。
                      
思考の徹底的な横着が観念のみの人間を完成させる。
                  
観念人間は観念的正義で他者を縛り付け、肝心の自分をもがんじがらめに縛り付けてしまうのだ。
『お題目命』となり、平和という言葉を愛して見せるが、その為の汚い現実への検証、対応、思考の努力は一切しない。
                   
時折、校長だの教頭だの『立派な教職』の人間達が未成年買春に走るなどの悲惨なニュースが報じられる。
自分を観念的正義の教育者としか捉えられなくなり…何時、汚物の様な欲望へ走るかも知れぬ『現実の自分』という汚れた人間の情報を集めなかった故の憐れな末路である。
                   
現実は汚いか?綺麗か?なんて浅はかな尺度で事は決まらない。
汚いなんて当たり前なのだから。
イジメも不正も日常茶飯事…そこを否定してちゃ対応なんて出来ない。
                      
人間、所詮糞袋!
剣聖宮本武蔵に一喝して見せた沢庵和尚の真理の名言である。
武蔵が考える剣の道が「剣の道の為に流れ過ぎる」とみた和尚。
所詮、剣もまた人間の演る事だ!ご大層に深刻ぶるな!…の指摘。
                        
憲法は平和憲法の為にあるんじゃなく、日本国民の為にあるものだ。
人間の現実を知らぬ『お題目』となった憲法には何の力も無い。