男にする

街の居酒屋で…「○○を男にしよう!」と頑張ったのに云々…の愚痴が、ショボいリーマンのグループから漏れ聞こえて来る。

 

何時の頃から流行りだした言い回しなんだろう。

時を変えて場所を変えてもこんな言い回しが使われている。

折角応援したのに…俺達には何の見返りもなしかよ!的な恨み節だろうか…。

 

言葉の勇ましさを他所に、コイツらには間違っても『イイ話』なんぞはやって来ないだろうなぁ…とそんなネガティブな引かれ者のイメージ満載のグループ。

 

アンタねぇ、自分が『どんな男演りながら』そのセリフ言ってんの?とツッコミの一つでも入れたくなる哀しい一団なのである。

言葉だけがやたら勇ましく、いざ現実となれば小さな責任さえも口一つで逃げて生きて来たってニュアンスが漂う。

 

ホントの責任とかプレッシャーとかを知らないから、『男にする・になる』というイメージ自体が昭和のヤクザ映画のイメージから一ミリも進化していない。

実体験のない口先観念だけを頼りに生きて来た哀しさだ。

 

○○を男にしたいなら○○が男になればそれで良し!…とするのが男の真剣な応援の仕方である。

姑息な見返り期待してて何勇ましいこと言ってんの?…コバンザメ君。

 

この手の輩は飯の食い方、酒の飲み方に至るまで何ともイジマシイ雰囲気を醸し出す。

根拠のない熱弁だけが虚しく響き…そのテーブルはブラックホールと化している。

人の元気活力を全てを吸い尽くす。

 

イイ歳になれば自分を客観視したいものだ。

全ては美学の無さが原因である。

美学はセルフプロデュースの脚本。

この場面で負け惜しみ?この場面で卑屈な要求?…それってイケてねえなぁ!と信号を送ってくれる。

ここはサラリと無言・沈黙で淡々とね!と粋に場面を運べるのだ。

 

花よりだんご…だんごは食いてえ!しかしこの場面じゃ駄目だ!

ここは花の美しさに専念だぜい!と自分を仕切るのが美学ってもんなのです。

 

セコい奴のキメゼリフは「私もサラリーマンですから…」だ。

翻訳すると、例え駄目だとなっても私のせいじゃ無いんですよ!

事の前から早くも言い訳している。

 

まさしく的外れた自己陶酔の酒だけが彼を慰めてるんだろうなあ…。

大人の男ならば…潔く『負けを認める美学』だけは日頃から携えておきたいものである。