遥か昔の

遥か昔のとりとめの無い日常のワンシーン。

 

今ではもう名前すらあやふやとなった人の自分に向けられた瞬間的な一瞥とか、スッと自分から外された視線とかを妙に鮮明に思い出す時がある。

 

それに纏わる前後の事情とか脈絡は全く覚えてはいない。

そのシーンにいた一人の視線だけがハッキリと蘇るのである。

 

若かりし頃の、恋愛熱中症見たいに一生懸命口説いた女の顔はモヤがかかってハッキリと思い出せないというのに。

深い関わりもなかった人の平凡な日常の一瞬が何故? と不思議なのだ。

 

相手はこっちに対してどうと言うこともない然り気無い振る舞いをしてたのだろう。

その視線の受け手たる僕に、何やら後ろめたい状況やメンタルがあったのかも知れない。

 

相手の視線がそれを見破っているかの様に僕が受け止め、インプットしたのかも知れない。

相手は自分を責めてもいない、怒ってもいない。

邪気のない澄んだ視線である。

 

逆に、あの人間のせいで!トンでもない状況に苦しんだ。

そんな修羅場だった集まりでの張本人たる相手の表情は今となってはボウヨウとして思い出せない。

自分が被害者的側面が大きかった故に良心の呵責なるものが無いからかもしれない。

 

後ろめたさとか心に呵責がある時…無意識に人の視線を借りて自分を責めているのか?

長い時間を経てその呵責の内容は忘れ様とも、何か『後ろめたい事をした僕』という警告の意味でフラッシュバック的に蘇るんだろうか?

 

その視線の映像は『ハッ!』とする感覚で蘇る。

自分の自分に対する認識は結構漏れ落ちてるのかもね?

自分で『都合良く取捨選択し』編集して記憶するのだろう…。

 

その時代の重要な意味を含んでいた事柄を、僕は何らかの理由を付けてシカトしたのかも知れないし、自己都合だけで頬かむりしたのかもしれない。

 

『自分の胸に聞け!』とはキツイ要求である。

 

人間というものは、人の事となれば細部まで根掘りはほりチェックに余念がない。

対象の人間の事はそうやって、最大漏らさず取り上げ指弾する。

いざ自分の事になったら…都合の悪い事はさっさと隠したり捨て去ったりしてシャラっとやり過ごす。

 

瞬間的シーンのフラッシュバック現象は、余りに過ぎる『自分無罪化忘却機能』に警告を発する為に時折起動し自分の復習を促しているのかも…と罪深い生き方をする僕は解釈している。

 

逃げていた不都合を思い出そうとする事がせめてもの『罪滅ぼし』となるんじゃね?…と。

しかし哀しいかな、その瞬間的視線から自分の不実を思い出せた事はない。
何時も、思い出そうと足掻くだけだ。

 

記憶する能力は劣悪だけど、忘れ去る能力は超一流。

それが自分なのだと諦めてから結構長い時間が過ぎ去ってしまったなぁ…。

未だに自分を許しているのか?自分から逃げているのか?…ハッキリしない自分を今日も生きている。