随分前に

随分前に、フランスの百年に一人の逸材と称される天才バレリーナのシルヴィ・ギエムが二十歳の時に言い放った言葉について書いた事があった。

 

『才能がない人が一生懸命努力をしている姿を見るとき…私はとても悲しい気持ちになる』

何とも冷徹にして冷酷とも取れる言葉ではある。

 

何故?今この言葉を思い出したかと言えば、この国の大人達の『幼児化現象』に拍車がかかり、ステレオタイプの観念的思考に逃れる人が今や多数派を占めているんじゃね?と感じるからだ。

 

空気を読むとか?傷付いた!傷付けられた!とか?癒されたいとか?繋がる?とかetc.

そんな『安手の気遣い・ヒューマニズム』が妙に大きな顔してふんぞり返ってる事に気付かないか?

 

大抵、真実とか本当の事はニベもないモノなのだ。

 

どんな競争にも厳然としたボーダーラインがあり、それは一切の妥協をしてくれない。

一ミリ足りなくても一点下回ってもアウトはアウトなのである。

 

モノの言い方を変えても腫れ物に触る様に…敗者を慰め様としても慰め様もなく、救い様もない。

敗者は他を当たるしかないのだ。

 

その厳粛で『シンプルなルール』を歪められらかの如く、才能の欠片も期待出来ない人にそんな世迷い言の『努力』という呪文で若者を戸惑わせる無責任な大人達。

 

彼等が安っぽく怪しい人格者を気取り、自己満に酔いしれる様になったのは何時の頃からだろうか?

 

努力は人に見せたら駄目なのだ。

心臓が口から出そうになりながら涼しい顔をしてこなすのがプロフェッショナル。

 

ここに、そこに、拘ってる…そんな安い努力擬きを披露して、ご満悦の料理人も枚挙に暇ない世相だけど。

どうしたら出来るか?よりも如何に駄目でも仕方ないか、について熱弁を振るう若者も増えた。

 

そんなこんなのヒューマニズムは目出度い。

好きに酔いしれてくれて構わないけどね?
でもね『負けは負け!』、『駄目は駄目!モノにはならないよ!』とハッキリ教えられる大人で在りたいと僕は思う。

 

参加する事に意義があるのはアマチュアリズムなのだ。

プロフェッショナルとして食っていきたきゃ…『モノにするのがプロフェッショナル』と最初に知っとかなきゃ『勝負にはならない』のですよ。

 

料理も努力しなきゃならない人は辞めた方が良い。

プロとして勝負出来る人はそれを単なる修練って呼ぶのです。

 

プロの世界には努力なんぞという甘い言葉が通用する余地はないのですよ。