恋と鉄パイプとナポリタン(9)

 blogというか…

 

SNS全般…悪い癖だけど飽きちまったのかも知れない。

 

二十歳ソコソコのアルバイト君が先日、インスタグラムを衣料品のショップに開設してくれたけど。

 

ワープロが世に出た時も、知らなきゃと演って見たらそこらの女子大生より頻繁に使うようになった。

そして…飽きた。

 

結論は…早く書けてもコンテンツが無きゃ意味無いじゃん!

 

結局、機械やITは処理をスピードアップして便利にするけれど、人間の根本の悩みや技量、地力をカヴァーしたり解決する事は出来ないんだ、と落胆と安心相半ばの心境に至った。

 

無為自然…言うは易し。

もう一度、アナログな心身に戻って、感じ思う事に素直に浸って見ようと思った。

 

殆ど見てないけど…fbでも、姑息な奴は変わらず姑息な臭いがするし卑屈な奴のは卑屈に終始してる。

 

IT機器やアプリに頼り、『何か』を求めるけれど、自分自身が何かを取り込み変えない限り何も変わることはない。

 

メールはただ送るために送る様になり、blogは書く為に書く様に…。

『繋がる』と『発見』をドラスティックに変えたかの様に喧伝されているけれど。

世の中全般のコミュニケーションが『豊かになった』なんて全く感じられない。

中身を薄めて流通量を圧倒的に増やしただけじゃないか?

 

むしろその機器が、人間の陰湿な正体をあからさまにし、トラブルが急増しているといった面もある。

 

全否定はしない。

とても便利だから。

程度の問題なんだと思う。

 

そして結局僕も、書く為に書いてる感じが否めなくなった…。

いつの間にか継続に妙な義務感さえ感じるから不思議だ。

染まった証拠なのか?

 

高野悦子さんの時代は、恐ろしく書きたい事が溢れ出た。

その後の時代を…と思えども、中々出てこない。

 

そりゃそうだ。

 

その後の時代から…僕は出来るだけ真剣な思考を避ける様になったから。

『上手く省力化』して適当にこなす事が当たり前化していったのだ。

 

今一度、真剣に見て真剣に感じ、真剣に行動したくなった。