恋と鉄パイプとナポリタン(6)

何とも多方面の…

 

何とも多方面の様々の年代の人達が高野悦子を調べ、語り、思いを書き連ねている。

その時代をリアルに知らない若い年代までが彼女とその時代を知りたがっている不思議。

 

兄の書棚から盗み読みした本の中に、高野悦子と奥浩平の作品があった事の不思議。

高野悦子の愛読書が奥浩平の『青春の墓標』だった事の不思議。

 

奥浩平は1965年に運動と恋に行き詰まり自殺している…。

マルクス主義の記述は難解で、よく理解出来なかった。

 

中核派の彼と早稲田に進んだ彼女は天敵の革マル派に属し、疎遠になっていった。

中核派と革マル派は血で血を洗う抗争を繰り返していたから…無理もない。

 

運動の閉塞と恋の破綻。

奥浩平と高野悦子の状況の流れがピタリと符合するのだ。

イデオロギー命と唱えているのは生身の人間だから。

何かの支え(恋人) なく進む事は若い彼等には過酷過ぎたのだと思う。

 

その若い彼等が…トコトン自分を責め上げて行く姿勢。

読み続けると酸欠の様な息苦しさを嫌でも感じるのである。

 

これまでの活動は自分に取って何だったのか?『総括しなければならない!』(高野悦子 )

そうやって自分を袋小路に追い込んでいくストイックさとピュア…。

 

部落差別問題を初めとした社会の諸問題の矛盾を我が責任として背負おうとする無理と焦燥感。

何より周りの闘士は居なくなっていく…そして挫折。

 

この歳まで生きて良かった。

 

彼、彼女の死はとても悼ましい。

しかし死は肉体の消滅と共に…彼を彼女を苦しい境涯から救済し解放したのだ、と考えられる様になったからだ。