恋と鉄パイプとナポリタン(3)

梅雨の日の1969

 

1969年6月24日未明に、雨のなかを彷徨い歩いた後に高野悦子は貨物列車を使って自殺に至った。

 

1969年1月に東大安田講堂に立て籠った学生が多数逮捕され敗北した。

いわば、学生運動が急速な衰退期を迎えた年である。

 

彼女はその前日の夕方、上手く行かなくなった恋人Nを求め、彼等が集まる喫茶店の外に一人佇んでいた。

 

Nの友人が中にいて彼女を見付けて店内に招き入れた。

彼女はテーブルに俯せて死にたいと二度三度独り言の様に…言ったという。

彼女を寮まで連れて行くも恋人Nは帰宅していなかった。

 

彼女をタクシーで送ったのが最後となった。

 

彼女が生きた年代を考証していて、若い人達から老人までが今尚、彼女とその時代について知りたがっているのがわかった。

 

僕は、学生運動には『遅れて来た少年』の年代だ。

それ以前の少年期後半青年期の若者特有のピュアを失いつつあった年代だ。

そのピュアの中に打算と計算を持ち込み始めたのが僕達『シラケ世代』だった。

 

田舎モンの僕は…どちらかと言えば器用に切り換えられない幼稚な少年だった。

 

高校も2年になると、急に蛍雪時代なんて進学情報雑誌とにらめっこする周囲に違和感と置いていかれる感覚を持った。

 

栃木県の宇都宮から都会にやって来た彼女が、毒を内包するジャズ喫茶や高揚感溢れるゲバルト学生のアジテーション演説の洗礼を受けた衝撃を…少なからず僕は想像出来るのである。

 

彼女は男にも学生運動にもストイック過ぎてピュアに過ぎたんだと思う。

ゲバ棒をさっさと捨て去り、就職に舵を切った周囲に…失望感覚と置いていかれる孤独感が襲い掛かったのだろう。

彼女も器用じゃなかったのだ。

 

唯一の頼りのNからも見捨てられた!

彼女は夜の海に一人漂う様な寂しさと孤独感を感じたのだと思う。

 

今の時代にこそ、そんなピュアとストイックな思いが欲しい!と無意識に感じている人達が彼女と彼女が生きた時代の空気感を熱望し始めたのか?

そんな気がする。

 

斜に構えて、甘えん坊学生のお遊びだったと結果的に言う人も多い。

しかし、命と引き換えるまで運動に打ち込めるか?男に入れ込めるか?

 

今の打算と詭弁と計算に埋もれた時代を生き抜くには…そんなピュアを必要とするんじゃないか?

彼女は押しきられたけれど、今となって弱き人間の武器はそれしかないんじゃね?…と僕は感じるのである。