恋と鉄パイプとナポリタン(2)

セクハラとストーカー

 

セクハラに狂気と凶器を持たせたら危険なストーカーになる。

 

経済は三十年から四十年で1サイクルだという。

今のセクハラ、# me too運動とウーマンリブ運動からのサイクルの一致を不思議に思う。

 

60年代から70年代を通して女性の権利としてアメリカ発で世界に拡がったウーマンリブ運動。

日本では榎美沙子の中ピ連運動なんてのもあった。

 

その運動は1979年の国連での男女差別撤廃条約として結実した。

ジェンダー等の認知を促した効果もあった。

生まれもった性と社会的、文化的に意識される性=ジェンダーだ。

 

『同じ人間だ』からの発想が…やっと肌の色の差別、性差別、『意識的性別の差別』をあぶり出し始め、意識改革を進展させたんだな?…と思った。

 

一方で、男女間のセクハラ問題はイケメンという言葉が罷り通っている様に…美女コンテストに怒る女側が無神経?に使ってる日常的ハラスメントなんだけど、それを怒る男はいない。

 

ハゲ、ヅラなんてのも社会で日常的に使用されてる。

気にする人は気にしてると思うけど…。

そろそろ「何でもバッシング!」から才能として認める部分を肯定的に取り入れないと…生きヅライやね?とも思う。

 

うちの店に、今も十人を越える元女子大学生が初代のアルバイト君を核に懇意になって出入りしている。

 

その美醜が就職に影響してたのは紛れもない事実。

金融機関に就職した四人は見事にその容貌と企業ランクが一致していた。

 

現アルバイト君達にもそれは伝えている。

社会では美貌は才能でありブスはそれだけで負ける事があるのだと。

企業はね…厳正な審査のもとに選考した!なんて嘘をつくんだよ…と。

 

男と女…対立軸だけでやりあうのは大人げない。イケてない。不粋である。

 

恐ろしい男尊女卑の鎌倉時代に頂点となった北条政子なんてのを生み出してるんだから、この国も捨てたもんじゃない。

戦後、女性首相は生まれてないから鎌倉時代の男達は中々、見る目があったのかもよ?…なんてね。

 

女が男より優位にある項目に性欲の実現過程がある。

これも普遍的な女性の優位性だ。

女がウンって言わなきゃ実現不能。

その過程で嫌な気持ちを抱かせる男は才能がないって事になる。

 

社会的な立場有れどヤリたいと願うのは男の本源的性質です。

優れた女はそれを知っている。

また優れた男は、仕事においての女の優秀さをとっくの昔に知っているのです。

 

建前だけのやり取りは、こと性的な事に関しては止した方がよい。

『そんなのあるある思考』から歩み寄りたいと思うけど…。

 

女に無理解な男はイケない。

男の本質を外す女もイケてない。

お互いの振る舞いの奥にある『本質』というものを知って行動する以外、男と女の間の問題は発生し続けると思う。

 

セックスが挨拶代わりの世相にあって一方では、『言葉だけで大罪』となる時代だからこそ、この問題に関しては本音と建前は絶望的な乖離を示している。

 

高野悦子さんが生きた時代、男と女はこと性に関しては素直にして正直だった気がする。
議論するなら素直に『本音』で語り合いたい。