繋がる

繋がると同義語、というか親戚見たいな言葉に『コミュニケーション』というのがある。

 

それに付随して語られる『居場所作り』というのも登場する。

田舎を巡ってるとよく目にする『ふれあい広場』何てのもある。

 

『ハコモノ行政』といわれるスタイルは、先ず『装置ありき』の発想だ。

居場所作りってのも発想はまるでそれと同じである。

 

コンピューターのハードを買えば全てが動き解決すると言わんばかりの短絡無目的思考の典型である。

『何をする為の』コミュニケーションなの?

 

所謂、『お題目』を唱えて揃えた時点で目的達成である。

『発信する』何てのも大いに流行ったよね…。

パソコンで言えばソフトウェアとソートウェアがスコーンと抜け落ちてる状態だ。

 

『誰が?何の為に?』発信し、コミュニケーションし、繋がり、ふれあい、どんな居場所にするのか…余り使用された節がない『ふれあい広場』なる建物がポツーンと佇んでる田舎の風景にはまるでそんな思考の跡はない。

 

でも、それで良いんじゃないか?と思う今日この頃なのだ。

 

スマホの機能をフルに使わねばならない程の目的を持つ人なんぞ殆ど居ない。

自分もそんな一人。

ある意味『所有に意味がある』だけで『実際の使用の必要』なんぞ無いのである。

 

所有は『世の中に付いて行ってる証明』であり、ともかく何故かは解らぬが『必要とされる何かを所有してる』事に意義があるのかも知れないね?…と思う。

逆に、改めて考えれば『使用する必要性は無い』事に気付かされる。

 

時間の無さを嘆きながら…実は自分の『必要という目的』を見出だすことは難しい。

所有にばかり血道を上げながらふと自分の時間に自分がホントに必要とする目的がない事に気付いて愕然とするのである。

 

『スマホを弄る事』は日常だけど、それをコミュニケーションという意味で使ってはいない自分。

それはとりもなおさず、自分が他者とコミュニケーションを図る必要がある程の目的を持っていない事に起因しているのである。

 

『仏作って霊入れず』な状態なんだけど、ここの所のIT技術の進化は次々と新たなアプリという仏を生み出し、「取り敢えず手にしとこ!」的に所有に走るばかりだ。

 

ネコちゃん、ワンちゃんを動員しても『発信のタネ』は足らず、インスタ映えというワケのわからん現象に狂騒してる。

それ、映えてんの?

イイね!が欲しけりゃ自分も手当たり次第のイイねを乱発しなきゃ!と軽薄打算の応酬に忙しい。

 

繋がってんの?それ。コミュニケーションなの?それ。

機械が人間を暇にした?

折角機械がくれたのに『暇を潰さにゃ』ならないなんて哀しすぎるよね…。

 

当たり前の話だけど『楽しいか?楽しくないか?』を判断基準にしたら良いと思う。
楽しくない時間は止める事、捨てる事だ。

 

そんな『暇潰し』を最大の義務かの様に必死にタップし続けてる人達。

暇潰しの合間の時間に恋をして、仕事をしてるかの様である。

 

『話題に付いて行けない事』ってそんなに大変な事ですか?

『それ、私も知ってる!』と言うために何時間潰しているのでしょう?

 

『意志持たぬ追随』ってカッコ悪い。

 

そんな流れから『意志ある停止、脱退』を試みるのも面白いと思うけど。

「何かをやらなきゃ!取り敢えず。」よりも、楽しくないことは『何もしない事』が大事。

何故ならそこに『自分の意志』が働いてるから…。

 

パンケーキ食べたい!?……?面白い???

ノンジェンダーで美しい顔立ちの慶応ボーイ。

旬の盛りのユーチューバー。

 

しかし、何で僕は『そんな情報』を知ってるんだろう?

…僕の『付いていかなきゃ病』もかなり重症である。