アカペラの

アカペラの澄んだ歌声を聴きたい…ふとそう思った。

 

ノイジーなマイノリティのネトウヨ、サヨクのアジテーションも斜に構えて何も言えず何も出来ないサイレントマジョリティ達の沈黙もウザったい。

 

昔…教条主義の女教師が言ってたのを思い出す。

『自分の事ばかり主張してはいけません!』って。

そう言いながら彼女はステレオタイプの優等生的な生徒二、三人を異常に寵愛してたっけ。

 

『私、広く人と繋がりたいの!』そう言いながら自分の趣味と同じ趣味の人間とばかりツルんでその牙城に逃げ込み籠る人達…。

テレビが今更ながら『民衆の分断』について演っていた。

グローバル対ローカル、富む者と貧しき者、先進国対後進国、捕鯨に関して食文化の対立…。

 

一人に一つの正義、誰もが自分の正義を唯一と盲信してしまう現代。

それに伴う排他主義の時代。

自分の正義を掲げそれを唯一と盲信する人には、考えの異なる他者を『許し認める余裕』がない。

ネットがそんな分断の構図を強化してしまうメカニズムは既に何回か書いたから割愛。

 

コメンテーターの誰かがこれまた今更ながら『俯瞰する態度』が必要なんだ!と言っていた。

俯瞰して見えた事をどうやって前進させるのか?

誰一人それを述べる者は居なかった。

分析し、評論して「難しい問題ですね?」でチャンチャン。

 

コメンテーター達はそれから深刻な表情で何度か頷き、テレビ画面のこちら側の僕達もそれで何か一つ分かった様な気がして日曜日の街中に出掛けていく…。

 

ふと、静かに語りかける様な…ソプラノの少女が唄う『アメージンググレイス』を聴きたいと思った。

高音域の落ち着いた歌声の中で一切の計算と思考を止めてみたいと思った。

そうすれば沈黙に逃げ込み、一切の主張を沈んだ笑顔の下に隠した人達の哀しみを感じ取れるかも知れない。

 

何よりこの自分が…何故哀しいのか?分かるかも知れないと思った。