人の判断

人の判断の仕方は二通りある。

 

自分の直接接した感覚と体験をベースに判断するのと、他者から聞く体験や噂や感想をベースに判断するのとだ。

 

直接の付き合いに於いて、しっかりした信頼を築いていると疑いもしなかった関係。

しかし、そんな何人かの人間に目の前で手のひらを見事にひっくり返された。

 

相手に対してこちらは何一つ落ち度は無い筈なんだけど…と、ヒラリひっくり返った手のひらに面食らい、戸惑ったものだった。

 

口一つで善悪の立場を入れ替える人間が…まことしやかな嘘を囁き回っただけで見事にひっくり返る僕に対する評価と態度。

かなりの比率で、他者の言葉一つで自分で確かめもせず冷酷な視線を送ってくる人が存外に多く居るのだ。

 

そんな経験を積むと一々それに反論、説明なんぞするのは腹立たしく気にする事さえアホらしくなった。

そして『放置の術』の誕生となった。

 

全く、その人間とイサカイの脈絡なんぞ無いのに…無礼極まりない態度をいきなり取るなんてのは鬼畜にも劣る下劣さである。
質(たち)の悪いおブス同様、その手の輩は取り合うだけ増長する…。

 

その時は感情的な態度を一切取らず、『恐ろしく丁寧な無視』に徹して差し上げると、恥も外聞もなく動揺し始める。
ま、もとより恥を知ってる人間ならその様な浅はかな無礼は働かないか…。

 

自分がどんな状況に在ろうとも、直接の感情のやり取りに沿って二人の間の信義を維持する人を僕は信じる。

噂一つ真に受けて、態度を豹変させるなんぞ下の下の人格だ。

 

優位の立場の自分しか好きになれない人は優位にある人に媚びる。

相手が不利と見るや手のひら返しで嫌がらせに転じる。

そういう人の、他者に向ける好意も敵意も根拠はなく何の力も意味もない。

 

簡単に言えばそんな人は『自己不信』の態度で生きている。

また、当然他者に対しても根底には『不信』をベースに判断している。

だから他人の言葉一つに反応し人を軽く扱う事になるのである。

 

人に応対する態度は、その人の人格なり信用度を如実に表現している。
大の大人が小学生の苛めレベルで軽挙妄動する様は見ていてとても哀しい。

『簡単』に態度を豹変させる。

『簡単』に言を左右する。

 

その表現レベルがまんまその人達の未来を作っていく。

上から目線で人を評価してる積もりが…その軽さを一瞥で見抜かれ『見下されている様』に彼等が気付く事はない。

 

人に信を置くことが出来ない人はまた、他者から信じられる事もないのである。