野暮と粋

本能的に吹き出す自己顕示欲にどれだけ冷静な抑制を加えられるか?そこに野暮と粋の分かれ目がある。

 

相手に『上から目線』で対したいという欲求も男女を問わず心の中にある事が見受けられる。

最近、コンビニの店員や飲食店の従業員に横柄な態度で接する人が急増してるという。

 

かつて修行中に、僕のお師匠さんがその事について教えてくれた事がある。

食べるという原始的な行為の場所では人となりが如実に現れる、と。

 

店の人に対して、そっと遠くの皿を寄せてくれたり、通路で身をかわしてくれたりする『然り気無い気遣い』が出来る人は人格的に優れている人。

 

経営する身となって、成る程…と思う事が多い。

 

『気遣いが出来る空気』となれるお客様は最高に粋である。

粋な人は必要以上に自分の存在をアピールしない。

余程の用事でも目礼で伝えてくれたり…。

 

供する我々の側もまた、気遣いする空気の様な存在となるのが好ましいと思う。

やり取りの時間を出来るだけ簡略に明確にして、お客様のテーブルを出来るだけ早く離れる。

相手の時間と空間を邪魔しない心遣いが肝要だ。

 

『ビジネス』という張り詰めた現場ではないから余計にその人の実力があからさまになる。

自分はこれだけすごい!を言いたい、人から尊敬されたい、目立ちたい…。

しかしそれを直に表現する風景はどうなのよ?って事。

 

空間全体の中での自分の在り様が冷静に見えている人、それが粋ってもんだと思う。

映画や文学同様に、『欲求の直接表現』ってのは野卑に過ぎる。

『目立ちたいから目立たない』…その間接話法にこちらはやられるのである。
『粋だなぁ!』ってね。

 

自分に取っての相手の存在感と相手に取っての自分の存在感を同列に並べて、瞬間的に最適をチョイスする力である。

意思によって抑制された演技は観るものを魅了する。

これでもか!と自分を力説すると…コイツ見えてねーな自分が!と不粋、野暮な人だと判定が下るのだ。

 

一見無駄なひと手間、静止の一呼吸…それが家畜ではない『人間の文化』なのだ。

相手構わず人との『間合いを知らない』独演会をやられたら不粋、野暮の極みである。

カネを稼ぐほど簡単に文化は稼げない。

 

絶えず自己疑問をもち、相手が心地よいか?と追及し続ける姿勢が粋に繋がるんだと思う。

料理人以上の素人料理人やソムリエ以上の素人ソムリエさんが闊歩し…皆の場所をスポイルしてる。

 

グルメサイトで訳知り顔で評論してる人の評論歴を見てみると面白い。

その人が出入りしてる店や食したメニューが見れるから。

そんな評論の真似事の前に…食文化の前提となる自分の経験値という土台をしっかり築きなさいな!と感じる事が多々ある。

 

客は店を評価する…確かにね。

しかし、店もまたお客様を評価するという双方向の交わりだと知っておくのが『粋へのスタート』だ。

 

自分を自分で見張っている人、その人の立ち居振舞いは寡黙でありながら美しくとても粋なのである。