またもや

またもや教育委員会と学校がイジメ問題を二年間野ざらしにして犠牲者を出した。

 

聞いた所によるとイジメ問題などが表沙汰になると校長先生の退職金にも大きく影響するんだとか?

勿論担任教師も査定はグンと落とされる。

 

だからといって、『無かったことにする』という発想は問題の深刻さからいっても『常識ある大人』なら絶対に思い付かない論外のものだ。

 

生徒の生命安全を守る!というのは、教育し子供の成長を育むという活動以前の学校の大前提じゃないか?…と大正論で嘆いて見せても失われた子供の命は帰らない。

 

批判するにも『自分の落ち度を意識出来る人』を対象にしなきゃ意味もない。

この一連の関係者の様に、無かったことに出来る人は最強である。

 

彼等は『嵐が過ぎる』のをひたすら待っている。

そして彼等は知っている。

取り敢えずしらを切って取り合わないでおけば世の中は『諦める』事を。

 

子供が一人死んでいる。

 

それをして尚、『無かった事にする感覚』は常軌を逸している。

しかし、全国各地どの教育現場に於いてもこの図式は繰り返されてきた。

そして今回もまた全く同じ。

 

これは、火事の現場で消防士が火を消さない。

目の前の殺人者を逮捕しない警官…それと同じレベルの話だ。

職務の根幹の第一条を行わない人達が、命と時間を失った後…渋々ガンクビ並べて「この度は…」とお辞儀の儀式。

 

「これで事足りる!」とその頭の中で算段がたっている。

狂っているのは確かだ。

しかし、彼等の常識もそうだけど、それで御祓とする社会の感覚も『どれだけ狂っているか?』を認識出来なくなってる。

 

結構な狂い方、ズレ方だと思う。
しかしここまで書いて、僕は思う。
 「自分一人が怒ったって…」と。

そしてまた流されていくのである。

 

『大の大人の社会』が修正力、自浄能力を完全に失っている。

それを分かっていても出来るのは、自分を説得し、自分に言い聞かせる『諦めるの術』だけである。

 

そんな世の中では 自分を閉じて、関わりを極力減らしていく事…有効な手立ては『触らぬ神に祟りなし』が一番賢明となる。

 

『本当の事を見なくなった社会』は少年少女の命さえも単なる数字…1個2個と数える様になるのである。

 

被害者が散々声を上げ、二年の時を要してやっと加害者側の責任者達に『頭を下げて謝って貰うの図』は完全に狂っている。

 

ここまで来ると何が?どうして?かは分からないけれど、『世の中は相当狂っている!』事だけは確かだ。