思考から

「余りにもしんどい!」日常のルーティンじゃない何か新しい手を打たないと解決しない。

どうするか?…見えない!余りにもしんどい…どうするか?

頭の中でそんな無限ループが延々と続く。

 

人が自分の思考から逃げ出すのはそんな状態の時だろう。

依存症になる人は、そんな時に脳の一部を異常に興奮させることで全ての嫌な事が『消えていく』のだと言う。

 

その異常な興奮を誘導するのが、ある人に取ってはアルコール、ある人は覚醒剤、ある人はギャンブル、ある人は買い物、ある人はセックス…だ。

 

その『興奮材』は人により違えども、興奮を起こす『脳の一部』は同じ部分で、依存症は一度 発症すると治る事はない。

出来るのは、症状がそれ以上進まない様に『止める努力をする事』だけだ。

 

依存症については何度も書いたからこれ以上は割愛。

問題は、何でそれだけのストレスを感じる世の中なのか?である。

興奮材を犯人に仕立て上げても(ギャンブル依存症はパチンコがあるからという理屈)、一定数の人の許容限度を超えるストレスが途切れる事なく掛かる状態が社会にある以上、依存症患者は増え続ける。

 

不思議な話だけど、もっと悲惨な戦後の混乱期にはそんな悩ましい病気は少なかった。

『考える暇』があると、人は考える事から逃れ様とする様になったのである。

 

飢え死にしそうな状態だと思考は単純に『食べ物を探せ!』のみで本能的に行動に移る。

ある意味『逃げを打てる状態』になったから依存症は増えたのだった。

 

今以上の難儀をかわそうとするとき、人は思考から逃亡するのだ。
そんな余地がなければ思考し、行動出来る人間なのに…である。

そこから依存症=『甘え』論が導かれる事が多い。

 

これは大正論であり、大抵の人がこの論に与すると思う。

しかし、事はそんなに単純じゃない。

 

明治のヒトより令和のヒトの方が足腰は弱い。

当たり前の話である。

理由は簡単、明治のヒトより令和のヒトは『足腰を使わなくなった』からだ。

 

これと同様に、ストレスによって思考逃避となる依存症の原因は、時代が進むほどヒトは難題に向き合い思考する力が無くなったから…と考えたら腑に落ちる。

 

家庭や学校のシステムが『思考させない教育』であり、出来る限り簡単に結論、結果を得られる『マニュアル式教育による人生観』の刷り込みを徹底したからに他ならない。

 

いわゆる、『学ばせない、方法論(マニュアル)の暗記』である。

進路にしても『良い大学から良い会社』迄を刷り込み、親も学校も安心する状態。

そこまで括っておいて、ここから先は「アンタが考えなさい!」って言っても…ねぇ?

 

元来、ライオンの牙に相当する人間の武器『思考力』を極限まで削ぎ落とし奪っておいて、二十二才で人が群れなす世の中という原野にいきなり追いたて放つのである。

 

「何故?」を思考する力がない人間が絶えず「何故?」を思考し続けなきゃ回避出来る筈もないトラブルに晒され続ける苦痛。

 

『思考しないマニュアル主義の優等生』達が、ちょっとした難題に出会うと条件反射的に逃げようとするのは無理もない事だと感じるのだ。

トラブルに関する有効な万能の公式なんてないのだから…。

 

若い人達に『思考する事』を体験させ、思考力を鍛えていかない限り依存症が増え続けるってのは自明の理だと思う。

 

「そういうもんだ!」と刷り込むだけの方法は教育じゃない。

それは単なる『調教』に過ぎない。

 

サファリパークで飼育されたライオンは、サバンナではサバイバル出来ない。

これと同じ原理の若者達の悲劇なんじゃないか?…と僕は感じている。