ゴミだって

ゴミだって分別する。

 

物事を分かりやすく処理する為には、物事を整理し分別して考える必要がある。

 

感情的に「在日の人達が嫌いだ!」という憎悪と嫌悪の整理箱を一つ置いて、様々の韓国、北朝鮮との問題を何から何までその中に放り込む。

韓国でもまた、反日という一つの箱に日本と名の付くモノは何でも全て放り込んでいる。

 

最近、ネトウヨになろうか?という寸前で立ち止まった僕の経験は前に書いた。

 

朝鮮学校の子供達の列に、日本の大人達の集団が口を極めてヘイトをぶつけるの図…。

『全世界のどんな国の子供』にも一切罪が無い!という思考の整理箱を一つ置いて見ませんか?…とネトウヨ寸前で僕は思った。

 

『是々非々』には整理箱が最低二つ要る。

 

それは演って良いことと悪いことの二つだ。

この二つを意識するだけで、自分の中で荒れ狂う怒りの渦はかなり収まるのだ。

そして当たり前である『子供に罪はない』という箱が登場する。

 

被差別対象の彼等の為じゃなく、自分の品格を損なわない為の『心の護身術』として整理箱が必要だ。

その分類箱が多いほど間違いを防ぎ、正確な判断が下せる様になるんじゃね?…と思う。

 

自分が変えられるのは『自分だけ』だ。

如何に圧力をかけたって、相手の心は変わらない。

一時的に屈服させられるだけなのである。

次の時間で相手の怒りは倍加して復活する。

 

『怒りの応酬』は全てを破壊するだけだ。

相手だけを破壊するならまだしも…自分の品格もプライドも破壊されるのである。

 

『自分を大切にする箱』は最低二つ用意したい。

『我欲を通す箱』と『成長する自分』という二通りの自分を大切にする方法論の箱である。

 

それでも大抵、我欲を通す箱ばかりに問題を投げ込むかも知れない。

それで良い、と僕は思う。

自分がその問題を『その様に分類したという認識』は出来るからだ。

 

『自分の悪徳』を知るには…その様な失敗を繰り返しながら『そんな自分を意識する』事から始めるしかない。

 

『自分の思い通りに行った事』を自分はどの分類箱に入れたのか?それを意識する事なんだと思う。

『自分の悪徳を知りながら行う悪行』と『自分を知らないまま行う悪行』とでは結果は天と地ほどに違うからだ。

 

差別心に駆られてヘイトスピーチに走るかも知れない。

しかし最低是か非か?の分類箱が数個あるだけで、自分の心ない攻撃が相手の子供達を傷付ける事は防げられるんじゃないか?という話。

 

悪徳を行わないのは人間じゃない。

それは神、仏のやり方である。

 

『悪徳の行い方の違い』こそが人間の生きるテーマなんだと思う。

その質的違いは『何れだけ自分の悪徳を知っているか?』に比例するのである。