現代の小鹿物語

元事務次官の老人が息子を殺した動機が…哀しかった。

 

このままだと裏の小学校の子供達に危害が及びかねない…自分がやらねば!と切羽詰まった上での犯行だという。

 

その背景には進学校の有名私立中学におけるイジメがあった。

父親としての彼は、その息子をコミュニケーションが上手くとれる様にするために祭りに連れて行ったりもしたという。

 

小学校の児童の命を心配して、自分の子供の命を奪わなければならなかった彼の心情を想像すれば…余りに酷い時の流れだと思った。

 

子供が可愛いままではいられなくなる成長過程で、苛烈なイジメで疎外された経験は彼のその後をとても臆病にしてしまったんだろう。

 

一方、「僕は事務次官の息子○○だ!」とよく言ってた事から、息子に取っての憧れの父親だった事もよく分かるだけに…時と共に縺れていく親子関係、家族関係の運びがとても切ない。

 

可愛いだけでは済まなくなる『小鹿物語』をふと思い出した。

成長するに連れて害獣としての面が顔を覗かせ…とうとう人が生きる為にはその鹿を撃ち殺さなければならなくなってしまう運び。

 

少年は人間社会の掟に精一杯抵抗し、しかし最後には愛する鹿を自らの手で撃ち殺すのだった。

 

中学時代も大人になる為に用意される様々の試練がある。

様々な理不尽(イジメなど)とも出会う。

父に殺された息子は『何故、僕が?』の疑問を大人になる為の通過儀礼に出来ないまま、その疑問を現在進行形のまま中年まで抱え続けたのだろう。

 

単なるセンチメンタルじゃなく、父に殺された被害者の息子をあの小鹿物語の成長してしまった鹿の様に感じたのだった。

 

学校に行けなくなるまで止めないイジメの集団、世間も羨む地位を得た父親。

しかし彼もまたそれ故『世間体という社会圧力』の被害者となったのもかも知れない。

 

どんな死も悲惨だけど、あの立派な屋敷の中で閉じ込めれていた鬱屈の挙げ句の息子殺しは、
言い様の無い殺伐とした気分にさせられる。

追い込まれた人間に取って、今のこの社会は絶望の果て迄追い詰める狂気を孕んでいる事をハッキリ認知しなければ!と感じさせられた事件だった。

 

ホントに繋がってますか?…あなたは社会と。