落語家の

落語家の立川志らくの、テレビのワイドショーにおいて無差別殺傷事件の犯人に向けて言った『死ぬなら一人で死んでくれ!』という発言が物議(?)を醸しているらしい。

 

恐らく彼は、義憤に駈られた正義の人として頑張って発言したんだと思う。

ワイドショーのコメンテーターの発言だから放置しとけば良い…とならなかったのは、『次の悪魔』に繋がりかねない発言だから。

指摘した人も我慢ならなかったんだと思う。

 

立川志らくの発言は『世の中の大多数の善人達』の正義を代弁している、ご説ごもっともな大正論である。

こういう大正論は発言してても気持ちの良いものだ。

何せ正義の代理人な訳だから…。

 

しかし、この類いの大正論には『何故、起きたのか?』の疑問を導き様がない。

理不尽な結果を謗り怒る事以外に芸が無い。

誤解を恐れずに言えば、小学生でも分かる『殺人はいけないと思います!』なのだから。

 

過去にも何度か書いたけど、『安全な立場に立ち、正論で人を追い詰める暴力性』に気付ける人は少ない。

かなり難儀な立場で理不尽に対して『何故だ?!』と悩まない限り、通りいっぺんの正義の残酷性に思慮が届く訳がないからである。

 

『犯人の甘え』と断罪するは簡単だろう。

しかし、それは次の新たな悪魔の生産を準備する態度と同義だと気付くにはかなりの人生経験を必要とする。

 

志らくいわく、「私は落語家だ。心理学者でも教育者の立場でもない。世の中の情けを語り、親の情けを代弁する落語家なのだ」と。

 

杓子定規な教育者なんかじゃない落語家だからこそ『弱者の心理』を洞察する力が必要なんじゃね?…と思うんだけどね。

ソレじゃあ人間というものの理解が余りに浅いんじゃね?。

まるでガッコのセンセみたいだね…。

 

思考が浅過ぎる。キレイ過ぎる。簡単に過ぎる…。

 

弱い人間を『たまたま今恵まれてる人間』が正論でがんじがらめにして追い込み、悦に入ってる。

その安普請な正義と自己満足が『信じられない凶行に走る』人間を生む社会のレベルを作り上げてるのは確かだ。

 

この堂々巡りに気が付くには、もう少し安普請なる正義の犠牲者が増えなきゃならないのかも知れない。

かつて、持てる者(貴族)の論理で押しきった貴族たちが革命によって自分の命を失う事でしか認知出来なかった『自らの横暴』。

 

奇しくも世の中の教育ママ達の憧れ、東大卒業…官僚のトップ、元事務次官に上り詰めた人が我が息子の暴力に耐えかねて80歳を前に殺人者にならねばならなくなった事件が起きた。

 

カネとソレにまつわる制度が原因ではない『現代の不幸の原因』に気付く事…『共生、共鳴、共感、共有…』そんな社会に向かう為には一見正論で正義の『残酷性を内包している自分』に気付く事から始まるのではないか。