人生経験が浅い内は、その時点での『優位か不利か?』に重きを置いた判断になりがちである。
しかし、事の運びの何処かのイチ地点の雲行きなんぞ、後になればその日の天気位の意味しかない。
事と次第は時間の流れによって転がる石の様に表面を削られていく。
些末な風評や、立ち回りで作られた一時の見せ掛けの様子は、時間がユックリと事の表面から削り落として行き…真実を少しずつ露にしてしまうのである。
バカ正直には狡猾が取り憑いたり、駆け引き上手が斬り付けた生々しい傷跡で散々の体となる。
バカ正直はおバカだからその姿勢を通す事しか知らない。
当初、姑息な立ち回りにも神を恐れぬ詭弁士にもやられ放題の風情。
当然不利の極みの瀕死一歩手前へと追い込まれる。
バカ正直は自分に悪魔でも取り憑いてると嘆く。
そして怒り狂うのだが…結局バカ正直を続ける事しか出来ないとの悟りに至る。
バカ正直者の頼りは時間の流れだけだ。
時間だけがズルも正直もなく、同じ様に公平に与えられるのである。
彼は『心の立場を変えられない』からそのベクトルを辿々しく進むことしか出来ない。
ひとまとめ出来る程の時が流れた時に、可能、不可能で嘆いていた『変われない』が何時しか自分は大切な事を『変えない』のだという『自発』へと進化させていた事に気付くのだ。
事の発端で形だけの正義だったものが何時しか『意思を持つ正義』へと変わった事に驚く。
しかしその『自負心』は人に開帳し誇る様な安いモノではないから、大切に彼の胸の奥に仕舞われる。
刹那的な短い時間でしか物事を計れない人達は、時の流れが彼らのキレイ綺麗な表面から、狡猾さや詭弁による安普請のエエカッコを削ぎ落としてしまった事に気付けない。
現実と思い込みの実体との誤差は、思い上がりとなって彼ら全体を覆い、結果自分が醜態を晒す様になった事を知らないまま、生き恥を胸張りながら連ね続ける。
成功体験は次の失敗を仕込む。
有利は思い上がりの心情を醸成し、不利の極みへと進ませもする。
収穫を急いではならないって事だろう。
しかし、長く生きなきゃそんな運びは分からないし知るよしもない。
リアルタイムでは、極力理屈を排して自分の胸に聞くという自衛策しかないのだ。
分からぬ事を分からないままにして自分の胸の内の『本心という羅針盤』を凝視しながら前に進むしかない。
その羅針盤は間違う事も自分を裏切る事もない。
人が間違う時、必ずその本心という羅針盤を蔑ろにしているのだと思う。
自分を可愛いと思うなら、その自分の本心を愛しなさい!って事だろう。
心に限らず森羅万象全て『ホンモノ』は必ず時間の壁を突破する力を内包しているのである。