後ろめたい人間は

後ろめたい人間は、とても饒舌になり同じ様に脛に傷持つ人間とつるむ事を特徴とする様になる。

聞かれもしないのにその傷にまつわる脚本を自前で創作しては吹聴して回る事に余念がない。

 

何故、何時も自分と似たような人間とつるむのか?

一重に自分の罪と自分一人で向き合う勇気が無いからである。
自分が良くない事と分かってるから後ろめたいのだが、『その落ち度の通り』に自分を捉える度量も潔さもない…。

 

「上手く立ち回るよなぁ…」なんてため息一つ。

そんな軽やかな悪徳ぶりを唖然としながら横目で見てたけど。

今となってはそんな人達は「下手な生き方だなぁ。」と思う様になった。

良い事も悪い事も…自分を自分の通りに認知し把握すればこそ、間違いながらも修正していける。

戻るべき自分の立ち位置がキチンと認識出来ているからである。

 

既に自分で歪めてしまった自分の運びを、真っ直ぐ真っ当なルートとして下手な強気で押し切る事の怖さ。

人間見たよ!的な節度の無さを『ちょっとした間違い』に変えてそのまま進む。
 

後ろめたい人間は…不思議と強気である。

 

というより、自分の間違いを正当なモノに見せ掛ける必要があるから、頑なに強気を演じてそのまんま押し通すしかないのだ。

しかし、その時後ろめたい人は気付いていない。

実は自分を正当化するに当たって払拭しようがない『怯えを仕込んだ』事に。
相手を鬼と仕立て上げ自分の心の内に鬼を招き入れたのだから、そりゃ怯えますわな…。

 

そして、その積み重ねによって常に誰かとつるんでいないと安心出来なくなってる自分に気付かず、類友との『頼りない同盟関係』への依存を重症化させていく。

 

ね、これって生き方、下手過ぎじゃね?と思うでしょ?。

 

重大な失敗もしない内に、何をやっても『勝ちがないという約束事』に志願して自縛してしまうのだから。

 

会話が途切れるのを怖がり、絶えず饒舌に喋り続けるの図は哀し過ぎるし寂し過ぎる。

そんな人は食事をしてても、何を食べてるか気もソゾロ。

会話してても何話してるのか気もソゾロ…やっと自分の部屋に辿り着いてため息一つ。

蜃気楼の様な今日一日に自分を探してはみるけれど…肝心の自分がソコに居た記憶は既にないのである。

 

後ろめたさを放置して生きている人は、相手の人を失うんじゃなく…日々肝心の自分を失っているのである。