金輪際

「金輪際ない!」…なんて固く誓う事がある。

事態がまだ新しい時には鼻息までもが息巻いている。

 

しかし、時流れ…先に忙しい世間はそんな事などお構い無く次々と新しいモノを旧きモノへと変えていく。

金輪際!と決めた誓いは、自分の中だけで現役を続けているだけになる。

 

ふと、時は流れている!と気付く瞬間がある。

知人の小さかった子供が立派な大人に姿を変えていたり、昔常連だった店を訪ねてみれば既に廃業して無くなってたり…とか。

 

そうこうしながら何時しか『金輪際!…』は意識から消え去り、無関心の領域に棄却されるのである。

時の魔法は『愛するも憎悪するも』全ての出来事を無かった事にする世界へ送り出していく。

 

怒りや憎悪や哀しみやらの様々な感情が消失した後に、時として心の奥に『変わらないモノ』の小さな欠片が残される事がある。

愛だの憎しみだのといった感情の包装紙に覆われて見えなかった『事の本当・核心』というものがそれだ。

 

今というその時々に、人は分かっている積もりでありながら実はその事の意味する所は何も分かっちゃいないという事だろう。

笑ってた記憶あれど何が楽しかったのか?

夢中だった記憶あれど一体何に惹かれたのか?

思い出せない事多く…。

 

何時か貰える答えというモノを人は信用しない。

出来ない。

だから人は間違うこと必定の結論を急ぐ。

 

リアルタイムで人に出来る事は答を急がず『一所懸命』にその事の流れに従うだけだ。

楽を求めて急ぎ出した『急造の結論』というものは、一時の平穏と引き換えに忘れた頃になって必ず『後悔』となって返却される。

 

僕は、上手く立ち回れない自分を罵り呪ったりもしたけれど。

不器用、無様ながらも『一所懸命』には嘘がなかったんだろう。

後悔するという『後の祭り』は…気が付けば自分史の後半から全く無くなっていたのだった。