ここ十何年間

ここ十何年間でスマホはスッカリ世の中に馴染んだ。

様々なアプリは生活に浸透し、それらも目新しくもなくなった。

 

fbからline、インスタグラム、ユーチューブ、TIKTOK…今も目まぐるしくトレンドは移り変わっている。

 

人と繋がっているか、一人なら様々なアプリで何かを見ている。

スマホから離れている時間が極端に減った様に思う。

これは、とりもなおさず『自分一人きりで思考する時間』が激減したということでもあるのだ。

 

生まれた時からパソコンが側にあり、当たり前に使いこなして来たであろう若い年代と話をしていて、最近「妙だな?」と感じる事がある。

 

人との直接の対面を億劫がり、一人でポチポチとスマホをタップする超個人主義的な彼等である筈なんだけど…彼等の興味がある一つの領域に集中していたり、主要なニュースを全く知らなかったりするのだ。

 

『開くツール』であり『情報を広く集めるツール』である筈のネットを通して彼等の認知領域が極端に狭められ、いわゆる『モノを知らない人間』になっている。

 

数行にまとめられた結果が次々と更新され飛び込んで来る。

彼等はインフォメーションとして『それを知っている』けれど『それについての思考』は全くしていない…という事に気付かされて愕然とする事が多い。

 

一介の料理人の僕でも、日韓関係のトラブルの原因の二つや三つは即答出来る。

そのプロセスも概要は理解している。

日本人にとってはかなり身近な問題なはずだけど…。

 

平成教育ママと受験にしか興味がない教師に育てられた『良いとされる大学』出身者に聞いて見て欲しい。

その一端でも良いから知っているか?

それについて僅かでも思考したことがある人間は1割ないし2割位の比率でしか居ないと思う。

 

本当なのかな?

ホントに良い大学?ホントにネットは情報を集めてくれる?

今、ヨシとされてるモノは本当に良いのか?

盲信して当たり前に信じてるけれど…思考の領域は狭まり、恐ろしく浅くなってはいないか?

 

大都市と地方の問題、外国人労働者の扱いの変化、ヨーロッパの右傾化、トランプの何がどの様に横暴なのか?etc…。

僕達は思考をしない、ひたすら時を消費するネットプレイヤーに成り下がってないか?

 

大の大人が目を大きく引き伸ばしたり、犬猫の耳をつけたフォトを喜び、変哲のない鳥居をパワースポットと騒いで…こぞってそんな報告会に夢中だけれど。

 

時折ネットはスターも出現させる。

でもそれはネットが作ったんじゃなく、その人の才能がその他大勢イモの山から這い出す努力あればこそではないか?

 

僕達は勘違いしてはいないか?

 

ネットは利便を高めたけれど、僕達がネットによって賢くなった訳じゃない。

ネット社会の進歩と共に、僕達人間は思考の量と質を極端に劣化させている。

暇さえあれば大人がネットで遊ぶんじゃなく、ネットに遊んで貰ってる。

ゲームは思考を止めさせ、条件反射の連続に終始する。

 

結果、リアル社会のリアルなテーマはリアルな思考をされる事なく垂れ流されていく…。

何故だ?…と思考しようとする『意欲』を決してアマゾンは届けてはくれないのだ。