緩急軽重

一日が始まれば事と次第が次々とやって来る。

また一人一人が各々に様々の懸案を抱えてもいる。

 

急ぐべきか?後回しにしても良いか?

 

重大な意味を持つのか?軽微な意味しかない事柄なのか?

その判断の事を緩急軽重という。

 

この判断が的確な人は物事一つひとつの核心を掴まえる事が出来る人であり当然デキル人である。

忙中閑ありに任せて…テレビの取り上げる問題を昨日から見比べてみた。

 

韓国スターのパクユチョンの麻薬問題、白鵬の三本締めの処分問題、私立の一貫校の橘学苑の不当労働行為か?の問題、自民党のお家事情(次の選挙と幹事長人事)、韓国と日本の外交問題、陸上競技の名伯楽、小出さん死去、北朝鮮キムジョンウンがロシア訪問etc.…。

 

そんな記事がほぼ均等に時間割りして放映されていた。

これらの問題にも緩急軽重はあるのだが、割り振られた時間はほぼ均等である。

 

翻って受信側の認識はどうなんだろう?と思った。

割当て時間とその報道の回数によって…『何となく』重要度も決まっているんじゃね?

その中身は全く関係なく。

 

中身は空っぽ、ご都合次第の自分勝手…なんてのが『声が大きい人』の定番だけど。

何故か一定の影響力を発揮したりもする。

 

この、何でだろう?の謎…

そうか!コレだ!これなんだ!と思った。

 

覗き訪問した数が多い事が最重要視されるネットのカラクリもこの感覚現象なのだ!

露出命!とユーチューバーが血道を上げるのもこれなんだろう。

 

ある深夜の怪しげな番組では『麻薬の低年齢化』というよく考えれば末恐ろしい問題をやっていた。

小学生が麻薬を買ってる…と。

何故かバストを強調した水着の女の子がふんだんに配された構成で、お手軽興味本位な扱いだった。

 

一方、パクユチョンの麻薬報道ではスーツ姿の日韓の弁護士や評論家を多数揃えて、凄く深刻そうな表情のMCが番組を進行するのである。

 

自分の言動行動に無責任な人間ほどよく喋る。

殆どが憶測で作られたヨタ話をのべつまくなし、世の中に『報道』し続けている。

それを『真に受ける人』が思いの外多いということか?

ナットク!である。

 

緩く軽いモノ…殆ど意味のない音といって良い話を、遮断するフィルターを持たなきゃ!ね。

一の意味しかない話でも億の意味を持ってる話でも、それを聞く手間隙という時間は全く同じなのだから。

 

緩く軽い情報を遮断するフィルターは、自分の心の『節度』という判断力しかない。

新聞の片隅にしか載らない事が一番重要な意味を持っている、とはよく語られる話だけれど。

人が大勢でワァーっと騒ぐ事とその問題の重要度は無関係といって良い位の乖離がある。

 

人は全くのガセネタで一人の人間をよってたかってイジメ殺す事さえやってのける。

自分もそんな人間の一人であるという『自分の真実の認識』をする事から緩急軽重の判断力養成は始まるんだと思う。