モノに罪はない2

数十万するバックでもアクセサリーでも、その女の下にやって来たエピソードを知らない人間は価格通りの価値を感じるだろう。

 

それを身に付けて新しい男の前に立つ女…。

当然、新しい男はそのモノが持つ裏のストーリーを知らない。

しかし少なくとも女自身は『知っている』のである。

 

ソコ、どうなのよ?…ということだ。

 

プライベートは自分以外の人間は知らないし分からない。

バレなきゃOK?の身の処し方で通し続けられるのか?

 

自分の人生そのものが、表面の化粧に終始する生き方で生命力を培えるのか?

ひとかどの男ならばそんな女を『生き方に芯を持たない女』と容易に看破してしまうだろう。

詰まり、バレちゃうのよね…。

 

バレるバレないの仕切りで生きてると、結果的に必ずバレる。

その基準より高いレベルで自分を仕切ってる人に対しては…という条件付きではあるけれど。

 

そしてバレるバレないの仕切りを自分に許すと、必ずバレるバレない主義の人間がその人の脇を固める様になる。

この世は類友だから。

 

自分にバレてる事を基準に生きると、当然きつくなる。

自分の意思で自分の後ろめたさを消去する努力は思うよりキツイ。

自分さえ知らんぷりしとけばノープロブレムなのだから。

 

しかし、だからこそ『敢えて自分を許さない』取り組みは力を貰えるのである。

そこからの暮らしの精神環境が進化する。

つまり、自己信頼が高まるのだ。

この繰り返しが、今の自分にないレベルへのチャレンジ意欲へと繋がってく。

 

人は往々にして他者の秘密を暴くことに狂奔する。

こんな人は自分に自信がない。

せめても自分よりレベルが劣るか 同等だと安心したいからだ。

 

悪い奴は私だけじゃない!皆も…と自分を慰める。

しかし実際、悪い自分を使って生きてかなきゃならないのは皆じゃない。

『自分』なのである。

 

出来うる限り『自分にバレてる自分の事』に忠実に対応して生きたい。

 

モノの価値が自分を作るんじゃない。

自分の価値が正確に人生に体現されていくのだから。

 

男に貢がせたカネやモノで着飾っている女は、その高価な服飾品が馴染まず浮いて見える。

尋常じゃない神経が容姿を通して染み出してるってな風情だ。

 

文字通り…悪銭身に付かずって事なんだろうなぁ。

 

モノには罪はない!確かに。

しかしね、身に付けたモノは忠実にその人の生き方の罪を物語ってしまうのだ。