秘すれば花?

深夜のテレビ、二〇代から四〇代の女のトークと称して演ってた。

 

明け透けな自分のセックス体験談を競って披露する彼女達のトークに…

なんか殺伐とした気分になって「何だかなぁ」なんて思ってると、ふと世阿弥の言葉『秘すれば花』を思い出した。

 

秘伝なるモノを実際に見聞きすれば、そのネタ自身どれも大したモノじゃない。

その秘伝は秘密にしていてこそ大きな力を発揮するものだ!、という戒めである。

 

世阿弥の有名な言葉にもう一つ『初心忘るべからず』というのある。

 

何でもサバけて話す大人の女気取りの彼女達にも『初めての体験』があったろうに。

その時の様々な感情の昂り、驚き、日常の一線を越えた喜びetc...

その辿々しい稚拙な初の体験こそが後の万の芸の種子なんであると世阿弥さんは教えてる。

 

彼女達はセックスを手段として使いこなせず『セックスにこき使われてやつれている』

…そんな印象を感じた。

つまり、『スル事が目的』のセックスに安易に馴染んでしまって、日常のありふれた『手馴れた行為』でしかなくなってる。

 

初めての初々しい驚きとか躊躇いなどは初めてなら誰でも感じるだろう。

しかし、その瑞々しい感性の驚きを時と回数を重ねてもなお保持する為には、柔らかな感受性を維持しなければ不可能だ。

 

初めての時感じた感動なり驚きは、『初めての時の同じ繰り返し』では日常に使い込まれて行く。

新たな発見とか素養とか思考、熟慮を繰り返してこそ『初心の時の驚き』は在り続けるんだと思う。

セックスなんてアカラサマに語れば犬でも演ってる只の性行為に過ぎない。

秘すればこその文学的エロスなのだから。

 

イイ女の笑顔には例え五十台、六十代でも必ずその表情の下にその人の幼女時代の瑞々しいあどけなさが湛えられているものだ。

 

二〇代のそのグループの女達からは既に、生活感に侵食されたやつれ、不潔感が漂っていたのが印象的だった。

なるほど初心忘るべからず、秘すれば花なのである…。