モノに罪はない

最近よく耳にする…通俗な女の『モノに罪はない』って台詞。

 

確かにね。

でも、それを言うアナタには大いに罪があるよね?

…なんて面と向かっては言わない。言っても無駄だから。

 

見栄と聞こえばかりを気にして「私は綺麗ですよ!」と自分を『要らぬ化粧』で誤魔化して、世間体を大事にしてたかつての昭和の女達。

それはそれでウザい雰囲気があったけれど。

 

世が長い平成不況の中で『アカラサマな欲求』をそのまんまご披露するのが『サバけて分かってる女』とでも言わんばかりの世相が普通になった。

普通になったんじゃなく、多数になったから目立たなくなった、と言った方が正解かな?

 

何時の世でも、女の揺るがぬ矜持とプライドを持ち、毅然と生きてる人というのも少数ながら一定数は存在している。

ソコは変わる事はない。

いわゆる中流の多数派という種族が『アカラサマ化』したに過ぎないんだと思う。

 

『モノに罪はない』

これってチョッと待てよ…と考えれば、結構下品で恐ろしく下劣である。

モノはモノ!っていう事でしょ?

 

モノをモノとしてしか見ないのか?見えないのか?

そのモノにまつわるエピソード、

モノしか手元に残らなかった『終わってしまったストーリー』よりも、モノへの未練(執着?)が勝るという心理。

それは最早、欲張り女のスリラーの領域だ。

 

終わった男の心情もその間の事情も知ったこっちゃない!

…それはよく解る。男と女の事の運びに善悪を求めても無意味だから。

そんな子供染みた事に悩む必要は全くない。

そうではなく、終わりにした男との経緯であるそのモノ…それを手元に置き続ける女の心根の浅ましさが問題じゃないの?ということ。

 

モノ一つを通して『何でもアリな女』に成り下がってる事に気が付けないのかい?…アナタ。

自分の下品に意図的に気づかないのか、気付けないのか?

まあ…そんな事はどうでも良いんだけど。

 

ケジメを着けるのは、貢がせた男の為なんかじゃ断じてない。

(男の惨劇は、詰まらない女に大枚貢いだ愚かさそのものが原因だから。)

 

自身の浅ましさによって、自分の大切なモノに気付けなくなる事がその女の損失なのだ。

 

チンケなモノ一つとカネでは買えない自分の誇りを交換する行為は…勝ち誇っている愚かな女の大問題なんじゃね?と思うのだ。