タダということ

只』ということを考えてみる。

 

昨今、小ガネ持ちのオヤジが若い娘と食事をご一緒して貰い、お小遣いを差し出す(?)なんて事がポピュラーに行われている…らしい。

 

若い娘の方には名乗れる立場もカネもない。

あるのは男の性欲をそそらせる若い肉体が一つ…。

 

一方オヤジには、小ガネはあれどそれを世間が認知し評価し有り難がるレベル迄は所有していない。

しかし小娘が喜ぶ程度のお小遣いは捨てられる。

 

性欲の有無を別にして、このオヤジがそのカネを含めた存在感で女にフェアな勝負を仕掛けるには力不足である。

こういう男はエクスキューズとして恋愛は面倒くさい!なんて事を言いたがるけどね…。

 

それはあくまでもカネの限界などではなく、勿論、面倒くささでもない。

この男の対女にアピールする『男としての存在感』において実力不足ということだ。

 

「一緒に過ごす」という事が対価を得る労働なのか?と言えば議論ある所だけど。

 

そんなパパ活女のSNSなんぞを見ると、私はHなしで立派でしょ?なんて事が書かれていたりする。H有り無し?あんまり関係ねえなぁ…と思うんだけど、現役やってる女にすればそこら辺に変なプライドが覗いてたりする。

 

有価値のモノを只にする。

その女が『何かを提供してる』からオヤジは女に代わってカネを払うのである。

その動機が肉体を通してであれメンタルであれ『やってる事の質』は変わんねぇけどな…。

 

「ただ只、食事するだけなんですぅ~」なんて下卑たエクスキューズ聞くくらいなら、「情けないオヤジに身体売ってやるのよ!」なんて女の方がまだ潔さを感じるのだ。

 

「一緒に過ごすだけ…」なんてエクスキューズ女は横着が染み付いていて、それに支配されてる。

『肉体労働する女』と『カッコつけずにそれを買っちゃう男』の方がまだ救われると僕は感じるのだ。

悪徳の分かり易さに於いて、だけどね。

 

年端も行かない女子高生ならいざ知らず、いい年して『ただ飯』の怖さ、下品さを知らない女がやたら増えてる。

その女の『無恥に突け込むしかない』中途半端な臆病オヤジってのも妙にバランスしてるけど。

 

イイ男とイイ女の食事シーンはとてもエロチックにして文学している。

例えその後、なにもせず右と左に別れようともね。

 

そこには一切のエクスキューズは存在しないのだ。

そのシーンには男も女も、固い矜持と覚悟とプライドを必要とするのだから…。