全部が

全部が『綺麗』で出来てるといった風情の個人、組織に面する時に何やら落ち着かぬ雰囲気を禁じ得ないのは昔からの事だった。

 

生きる体験を積む内に、その理由が分かる様になった。

 

何故落ち着かなかったのか?

その個人なり組織が実際の所、全く『綺麗じゃなかった』からだった。

 

綺麗に見えるモノに対しての『胡散臭い』という落ち着かぬ感覚は、時として自分が社会不適合じゃないかと自己嫌悪を呼び起こしたものだが。

 

それでもブレずに自分の感ずる所を死守した結果…殊更に綺麗ご立派を謳ってる存在は綺麗でも立派でもないからなのだ!と納得出来た。

 

不自然に感じたのは『無いものを在る様に』演じているからに他ならないから。

信用出来るモノは、人間の汚さとか不道徳を知り受け入れている。

その事を受け入れ認知してる姿こそが美しいのだと気付いた。

その態度こそが人として綺麗なのだ…と。

 

この様な存在に、楽しくない事を『楽しくない』と告げる事は恐ろしくプレッシャーが掛かる。

NO!を言うにはYESと応えるのとは比べ物にならないエネルギーを空費するからだ。

 

そんな善を気取る邪悪なモノが世の中には溢れてる。

己の無知を知る努力をしない狭量で独善の価値観によって、いとも軽く簡単に他者を断罪する。

まるで断罪する事が自分達の存在意義かの様ですらある。

 

 

あるグループの女性にアクセサリーを売った。

片手までは行かないポピュラーなサービスプライスだった。

そのグループの重鎮の一人が「何故売ったのか?可哀想に!!」と詰め寄り僕達を責めた。

 

彼は飲食にはカネを厭わない。

しかし服飾には一切カネは掛けない!の価値観である。

若いモンを連れての連夜の豪遊は平気だ。

 

まるで毒か覚醒剤でも流したか?の様な彼の憤りに訳が解らなかった。

 

どうやらアクセサリーは、悪徳者が客を騙して売り付けるモノ!というのが彼の価値観らしかった。

独善?…辛うじてその言葉しか浮かばなかった。

彼と話しする事さえ無駄だと気力を失った。

それ位、傍若無人な態度だったのである。

 

自分に理解出来ない職業は、怪しい人間がやってるに違いない!

そんな決め付けは頑迷を通り越し、冒涜の領域に踏み込んだモノだった。

 

その後、売春ツアー体験を話す彼。

現地のその筋の女と過ごしたアレコレ。

それは彼に取って臆する所など微塵も感じられない綺麗な綺麗な人情話の体だったのである…。

 

人よく…都合次第で神と悪魔を往き来するモノである。

しかしそれが人間なのだ。

だから肝心な事は、己のそれを知っているや否やなんだなぁ…とつくづく思う。