学校から

既定路線の学校からフェードアウトして、イレギュラーの方法で学んだり学ばなかったりしてる少年達がいる。

 

彼等に対して『まともな神経をしているからだ』という理由を示す人達が結構いる。

僕もどちらかと言えばこれに近い感想を持っている。

 

イジメなどの具体的な問題を抱えた場合は勿論、『何となく』という漠然とした感覚で不登校を決定した少年達の存在。

相対的に見ると、学校を拒絶した少年達という現象と少年達を拒絶した学校側という二面がある。

『従来・今まで』を頼る学校と『これから』を模索する少年達との双方向の価値観のせめぎ合いの結果である。

 

フェードアウトせず既存の路線を進む学生達にしても、生きるマニュアルの『必須の手続き』として学生をこなしている?といった風情が顕著に見える。

学ぶのではなくこなしている結果、彼等はとても無学力・無教養である。

 

大学生のかなりの人達が分数が出来ないといわれて久しい。

必須プロセスとして年次をこなすのが目的だからそれは当然の結果なのだろう。

学校は本来の『学びという商品』を子供達に届ける力を失いつつある事は確かだ。

 

学校に限らず『形骸化』が様々な分野で進んだ。

本来の目的を忘れ純粋に形骸化された結果のみを羅列して生きていく傾向が露になり始めた。

 

『大学終了!』、『検査終了!』、『ヒアリング終了!』

目的を忘れた手段のみが価値を発揮する歪な世の中の運びに抑え切れない疑問の衝動。

その末の選択が不登校…なのかも知れない。

 

何故、分数の割り算は分子と分母をひっくり返してかけ算するの?

『そうするモンだから!』

かつては老人達の専売特許だった台詞が間髪入れずに彼等から返ってくる。

 

黙って手続きに応じておけば良い!

という学校の不変の態度は、若い老人を生産している様にも見えてくる。

 

若くして老人の様な思考を受け入れ続けられる学生こそまともな神経じゃない?…かも。

 

皆がそうするモンだからと多数派は形成される。

しかし多数がイコール、必ずしも正しい訳じゃないかも知れない…。